都内を自転車で走ってみる

思いついて都内でサイクリングしてみた。
と言っても、本格的に自動車で都内までバイクを運んで、走った……みたいな格好のよいものではない。
確かに、ふと気がつくと、都内に限らず、スポーティな格好に身を包んだサイクリストを近年良く眼にする。
しかし、ぼくの場合は違う。レンタサイクルを借りて、走ったのである。

実は、都内(というより、関東近県)でも徐々にレンタサイクルが普及してきているらしい、という情報をつかんでいた。区や市などの行政が、ある種の施策として実施するケースや(多くは、安価で、身分証明書ひとつで気軽に使える)、自転車屋さんのレンタサイクルなどもある。行政としては車の交通量を減らす、という意味合いもありそうだし、観光の意味合いもあるのだろう。
そして、ウェブ上でも探したらこんなサイトも出てきた。
http://www.greenpedal.jp/map
自転車は確かに、クリーンな乗り物ではある。空気をよごさない。都会を自転車で走る、というのはどんなものだろう。ぼくは普段車に乗らないし、都心に出たら基本は駅から目的の場所へは歩く。時には目的もなく駅から駅へ、歩く。いずれ駅が起点となるわけだが、移動出来る距離も、時間も、自ずと限られてくる。ところが、自転車なら車より身軽に、徒歩よりずっと大きな距離を短い時間で移動出来る。ふとした好奇心で道端に自転車を止めて立ち寄りも簡単だ。都会の光景が違って見える(かもしれない)。

» 続きを読む

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「さよならをもう一度」ニュープリントで上映(午前十時の映画祭)

うかつでした。「午前十時の映画祭」という試みが全国で行なわれていたんですね。昨年...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

iPhoneが還ってきた話。

一昨日のことです。母の毎月の施設利用料金を振り込もうと訪れた銀行で、iPhone...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大林宣彦監督の新作!『「この空の花」 -長岡花火物語-(仮題)』

「この空の花」 -長岡花火物語-

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

無料本サービス=銀河望遠鏡 FreeBOOKS を始めます

オンライン古書店『銀河望遠鏡』が、完全に無料で本をお届けする、銀河望遠鏡 FreeBOOKS というサービスを2010年12月より開始します。ご期待下さい。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

1970年3月号 シリーズ・70年代のSFマガジンを読み直す

 さて、しばらくの間僕がSFに夢中になっていた頃のSFマガジンを読み直す、というか、眺め直す(?)というシリーズを書いてみようかと思っている。きっかけは、長らく実家の押し入れの中でかび臭くなったまま眠っていた昔々のSFマガジンや奇想天外を何十年ぶりかで出して棚に並べたからである。五年ほど前に実家に戻って以来、様々な父や母の遺物と格闘してきた(まだ続いている!)一環で再び日の目を見たのだ。不憫に思い、ぱらぱらとめくるとそこには嗚呼、我が青春のSFの日々が……。
 と、思いきり感傷モードになっても困るわけだが、各号の目次を見ているだけでも、本当にSFに夢中だった頃、何もかもが新鮮で驚きに満ちてわくわくしていたことを思い出す。何しろ読書体験のその始まりにSFが位置しているので、読書=SFと言う時期が初期には続いたのだ。しかし少しずつその感激も薄れ、冷静に個々の作品を評価する様になった頃もまた興味深い。読書の範囲が少しずつ広がり、庄司薫に出会い、河合隼雄や岸田秀、日高敏隆、村上陽一郎などを読み、さらに村上春樹のデビューがあって……と僕の読書歴は続いていくのだが、今回はとにかく、玉石混交ながらきらめくような読書の魅力を僕に擦り込んでくれたSFマガジンを読み直してみる。もちろん、本当に全部読み直すことは出来ないのだが、一号ずつしげしげと眺めてみたい、という訳だ。
 お付き合い頂ければ幸いである。

Scan さてさて、では早速その第一回は、僕とSFMの出会いとなった1970年3月号から、ということにしよう。僕は6月が誕生日なのでこのとき13歳。ということは中学一年三学期ということか。確か小五か小六の時に角川の文庫でバローズの『火星のプリンセス』を見つけ、大人の本と思っていた文庫本にも僕が読める本が(ちらほらと)混じっていることに気がついて嬉しかったのだった。文庫なら安くてなんとかお小遣いで買えたからである。そして中学になり、実はSFの専門誌があったのだ、ということに気がつく。衝撃だった。何とも奇妙な表紙の雑誌が、そのSFマガジンだった。

 今ではしわしわよれよれの表紙で本文も黄色く変色しているが、もちろんピカピカだった中学一年の僕が店頭で手に取ったときにはSFMもピカピカだった。では、さっそく中身を見ていこう。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ブックエンド 夜が明けたら ‥‥まえがきに代えて

 僕は今、マックのディスプレイに向かってこの文章を打ち込んでいる。
 ちょうど真夜中を過ぎたところ。
 秋から冬へと季節が移りつつある。外はきっと冷え込んでいる。雨も降っているかもしれない。
 それでも、少し外に出てみたい。おそらくは人がいない夜の住宅地の濡れた道を歩いてみたい。傘は持ちたくない。月は出ていないだろう。空気は湿っているだろう。
 それでも、ぼくはここでキーボードを叩いている。かたかたかた、カチッ‥‥。

 昨年の今ごろも、本を造っていた。
 そう。初めての自分の小説集を。
 『土星の環』と名付けた本。自分のお金で旧知の印刷屋さんと一緒に造った、三十代に書いた五つの中・短篇たちを収めた、プライベートなくせに気張った、小さな上製本。本を包むカバーにはPP加工をして補強したトレーシング・ペーパーを用い、カバーに載せた「土星の環」の題字の下には、環のついた土星の画像が背景の真っ暗な宇宙空間にぽつんと浮かんでいるのが透けて見えるようにした。
 何故、そんなことをしたのだろう?
 売れる見込みもない本を造るなんて。
 哀しい自己満足じゃないか。‥‥
 僕は、うまく応えることができない。
 そうかもしれない。
 そうかもしれない、が。‥‥
 でも、答えは出てこない。

 家は静まりかえっている。iTunesから流れていた音楽がしばらく前から聞こえない。外はやはり雨が降っている。たぶん、小さな雨粒が世界中の屋根と道に降り注いでいるのだ。何もかもが、ぐっしょりと濡れて滴を垂らしている。外には出られない。もちろん、本当は出られるし、夜の外気を吸いたいけれど。
 雨は降り続けている。僕の思いとは関係なく。音楽をかけよう。紅茶を飲みたい。濃いミルクティー。
 Queen のフレディ・マーキュリーが、Seaside Rendezvous を歌い始めた。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

 時をかける思春期のドラマ----『時をかける少女』SF序説


 こんなに素敵なカーテン・コールを伴った映画を、ぼくは知らない。
 10年後に、お互いの記憶をなくした和子(原田知世)と一夫(高柳良一)が再会するラスト・シーン。両手に山の書物を抱えて、白衣の和子が大学の廊下を遠ざかっていく。
 フェード・アウト。
 暗くなった画面に、松任谷由美が作ったテーマ曲が流れ出す。
 そして再び画面が明るくなると、そこはまたあの実験室だ。芳山和子が床に倒れている。
 終わったはずの物語が、また始まる、とでもいうような一瞬の錯覚。考えようによっては、今度は物語の中の和子ではなく、見物していた我々、観客の方が、今一度過去に戻ってしまうのだ……。
 だが、それは一瞬のこと。
 和子=知世は、むくっと起きあがり、主題歌を歌い出す(!)。

   ♪あなた 私のもとから 突然消えたりしないでね〜  

 大林演出に一杯食った我々は、その嬉々としたお遊びを、軽いめまいから醒めるようにして受け入れる。そして、館内は笑いの渦だ。その半分は、あまりの馬鹿バカしさゆえに、そしてもう半分は……これは少し説明が難しい。
 スクリーンの上では、放課後の実験室から和子の部屋に、体育館に、校庭に、教室に、あるいは弓道部の練習時間に、そしてラベンダーの咲く温室にと、次々と場所を移し、時をかけて和子が……いや、原田知世がテーマ曲を歌い継ぐ。
 我々はそこに、物語という黄金の糸で寄り合わされていたそれぞれの場面が、最後にラクラクと解き放たれるのを見る。
 時と場所から解き放たれて歌う少女は、最早芳山和子ではなく、原田知世というフレッシュな魅力に輝く新しい映画スターに他ならない。
 歌はいつしか、出演者総出演の祝祭となり、拍手に包まれ、最後の最後でチラリと冒頭のスキー場、和子と一夫の出会いのシーンが挟まれ、徐々に消えゆくテーマ曲の中で、坂をかけおりてきた原田知世の、きらめく笑顔を映して、映画は終わる……。
 馬鹿バカしさのあまり吹き出したはずの笑いが、あたたかな笑顔となり、映画館を出ようと席を立ちはじめた人々の間に広がっている。何故、このようなことが起こったのだろうか。これを解き明かすことが、この小論の一つのテーマでもあるはずだ。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

天国にいちばん近い映画   ファンタジーとしてのユートピア


 ここにひとり、とても愛らしく、心優しい少女がいる。少女を愛した大人たちが、彼女を主人公にしてお話をつくった。
 映画『天国にいちばん近い島』は、そんな風にして出来上がったに違いない。
 テーマはユートピア探し。
 同時に、愛と信頼の物語でもある。同時にという訳は、後で説明しよう。
 ただし(と付け加えなければならない)、この物語は、あくまでも心優しい大人たちが、愛する少女のために作ったファンタジーだ。ユートピアも愛と信頼も、そのファンタジーの枠組みを取り除いたときには、おそらくはもろくも消え失せてしまうだろう。
 彼ら、大人たちはそれを百も承知している。
 “さようなら、幼い日々
  ありがとう、天国にいちばん近い島”
 そんな彼らだからこそ、ラストにこんなメッセージを添えたのだ。
 それはともかく、大林宣彦監督・原田知世主演。『天国にいちばん近い島』の万里(知世)がみつけたユートピアをぼくも探しに行くことにしよう。
 

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

狡さの感覚 『東京物語』評


 物語は、広島市尾道に住む老夫婦周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)が、成人した子供たちを訪ねて上京するところから始まる。
 長男(山村聰)は町医者となり、長女(杉村春子)は美容院の経営に忙しい。次男は既に8年前に戦死しているが、未亡人となった紀子(原節子)は未だ再婚もしていない。
 長男の家にたどり着いた老夫婦は歓待され嬉しい。しかし、東京見物に出かけようにも、急患が入って予定は流れてしまうし、長女は生活に追われ両親の相手をするつもりがない。長女の夫も気をもむものの実際には暇を作れない。気がつくと老夫婦は一日二階の部屋でどこへも出かけず仕舞いだった。
 長女は、紀子に東京見物に老夫婦を連れだしてくれるように頼む。職場を休み、観光バスに乗って東京を案内する紀子。狭い紀子のアパートで、温かい紀子のもてなしに感謝する夫婦。しかし実の子供たちは、既に両親を持てあまし気味だ。長男と長女は次に、両親を熱海にやることを思いつく。眺めの良い旅館ではあったが、若者向きで、夜遅くまでうるさく眠れない。そろそろ尾道へ帰ろうか、老夫婦はそう言い交わし、一泊で長女の家に戻ってきてしまう。いかにも迷惑げに迎える長女。老夫婦は居たたまれず、とみは紀子のアパートに、周吉は昔の知り合いを訪ねる。したたかに酔った周吉は、子供たちが期待するようには育ってくれないことを諦めつつも語らずにいられない。一方、紀子の家に泊まったとみは、いまも次男のことを思い、子供たち以上に温かく自分たちに接してくれる紀子にすまなさを感じ、遠慮せずに再婚し幸せになってほしいと願うが、紀子は笑顔でこのままでいいと言うのだった。
 周吉ととみは翌日古里に帰るが、周吉の礼状と前後して、東京の子供たちの元に、とみ危篤の電報が届く。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«汚辱の記憶  『ラスト・サムライ』評