庄司薫さんという作家の小説を夢中で読んでいたのは、十代の終わり頃から二十歳代だろうか。
1969年の中央公論に「赤頭巾ちゃん気をつけて」という小説をペンネームで書き(本名は・福田章二)、芥川賞を受賞して一躍時の人になった。小説の主人公の名前も庄司薫で、作者も庄司薫、というわけでこの19歳の主人公が本当に小説を書いたのだろうか? そんなこともささやかれたのだが、不幸なことに(いや、もちろん素晴らしいことだけれど)芥川賞を受賞したために、実はその10年も前に本名で「喪失」という小説を書き、中央公論新人賞を受賞した(当時は二十歳だった)福田章二氏だということがバレてしまう。学生作家の福田章二は本を一冊残して、このときまで沈黙していたのだった。
作家・庄司薫はその後主人公・薫による全四部作を完成させると再び筆を擱く。1970年代末にはほぼ何も書かなくなり、なんと、自作の文庫本化等に後書きを寄せたりする程度で現在まで沈黙を守ってきたのだ。
あれだけ才能のある人がおそらくは数々のオファーがありつつも沈黙を貫いた来た。そこには確固たる意思があったに違いない。
是非ご紹介したいイベントです。
◆「マイム」と「トーク」による社会風刺の鬼才・松元ヒロ◆
時の政治家や話題の「人物」になりきっての「一人コント」で世相を切り裂き、笑いのめす。今こそ、本物のスタンダップ・コメディを観て頂きたい、と思います。
逸話が残っています。数年前、松元の独演会を客席で見て感動した立川談志が舞台に上がって言ったそうです。「今まで、ヒロを見損なってきた。ちゃんと見てこなかったということを謝ります」
生前、最後に見た舞台も松元ヒロの独演会だった、とも聞きました。
談志を魅了した松元の芸は、政治・時事ネタが真骨頂です。この手のネタで笑いを誘う芸人の姿が寄席やテレビ、ラジオから消えて久しい、のではないでしょうか。
政治の混迷、産業の衰退、少子高齢化、そこに追い討ちをかけた東日本大震災と、福島原発事故。先の見えない閉塞感に包まれた日本の現実を、松元ヒロが笑いで吹き飛ばします。
■松元ヒロ
1952年 鹿児島に生まれる。
1985年 NTV「お笑いスター誕生」で優勝(笑パーティー)
1988年 <ザ・ニュースペーパー>の結成に参加、政治風刺コントの世界へ。
1998年 <ザ・ニュースペーパー>を退団し、ソロ活動開始。
1999年 渋谷ジァンジァンにて46歳のソロデビュー。マイムやトーク、一人コントをフューチャーした“スタンダップ・コミック”での公演活動に入る。
2005年 「立川談志 日本の笑芸百選」(NHK BS2)に選ばれる。
2007年 TBSラジオ「永六輔その新世界」の
『土曜ワイド芸能大賞』受賞
2000年〜09年 立川志の輔師匠の「志の輔らくご」に毎月ゲスト出演。
日時 2012年9月22日(祝・土)19:00開場
19:30開演 21:00終演(予定)
会場 アミュゼ柏 2F クリスタルホール
(柏駅東口より徒歩7分)
チケット 全席自由(小学生以下の入場はできません)
前売 一般2000円 中高生1000円
当日 一般2500円 中高生1500円
●(特)NPOこどもすぺーす柏 Tel / Fax 04-7169-8451
●ローソン 0570-084-003(Lコード 36969)
●浅野書店 04-7164-2040 (柏駅東口スカイプラザB1)
●高島屋柏店友の会 04-7144-1111(代)
●銀河望遠鏡hp(クレジットカード決済、銀行振込、商品代引き等扱います)
http://ginga.dozeu.net/ にアクセス
*今回松元ヒロソロライブの実行委員長をやっています。是非チケットをお求めください!
◆主催の(特)NPOこどもすぺーす柏について◆
2003年設立。子どもの豊かな育ちのために活動しているNPOです。私たちは、プロによる生の舞台の「鑑賞」や、キャンプでの異年齢での「あそび」などを通じて、さまざまな体験を子どもたちに届けています。目の前で繰り広げられる世界に目を輝かせ心揺さぶられる体験や、大人と子どもが本気であそび合う楽しさは、子ども時代の宝物です。私たちは“とびっきりの子ども時代”を応援しています。
でも、今回の「松元ヒロソロライブ」は、中学生から大人を対象とした舞台です。大人も大いに笑って元気になりましょう。大人がココロ楽しく過ごすことが、子どもたちの幸せに繋がります。子どもが元気だと大人も元気になるように。
思いついて都内でサイクリングしてみた。
と言っても、本格的に自動車で都内までバイクを運んで、走った……みたいな格好のよいものではない。
確かに、ふと気がつくと、都内に限らず、スポーティな格好に身を包んだサイクリストを近年良く眼にする。
しかし、ぼくの場合は違う。レンタサイクルを借りて、走ったのである。
実は、都内(というより、関東近県)でも徐々にレンタサイクルが普及してきているらしい、という情報をつかんでいた。区や市などの行政が、ある種の施策として実施するケースや(多くは、安価で、身分証明書ひとつで気軽に使える)、自転車屋さんのレンタサイクルなどもある。行政としては車の交通量を減らす、という意味合いもありそうだし、観光の意味合いもあるのだろう。
そして、ウェブ上でも探したらこんなサイトも出てきた。
http://www.greenpedal.jp/map
自転車は確かに、クリーンな乗り物ではある。空気をよごさない。都会を自転車で走る、というのはどんなものだろう。ぼくは普段車に乗らないし、都心に出たら基本は駅から目的の場所へは歩く。時には目的もなく駅から駅へ、歩く。いずれ駅が起点となるわけだが、移動出来る距離も、時間も、自ずと限られてくる。ところが、自転車なら車より身軽に、徒歩よりずっと大きな距離を短い時間で移動出来る。ふとした好奇心で道端に自転車を止めて立ち寄りも簡単だ。都会の光景が違って見える(かもしれない)。
うかつでした。「午前十時の映画祭」という試みが全国で行なわれていたんですね。昨年から。
2年目の今年も第2回として開催されています。
この映画祭は、「全国の映画ファンのの投票をもとに、1950年〜70年を中心とする映画の黄金時代に生まれた数々の外国作品の中から、傑作娯楽映画をセレクトし、毎朝十時から一年間にわたり上映する特別企画です。いまもなお色あせない感動を、この機会に是非スクリーンで、美しいオリジナルニュープリントのフィルムでお愉しみください。」ということで、1年目からの25劇場と、2年目からの25劇場、併せて50の劇場で実施されているということです。
新たに加わった25の劇場では昨年好評だった50本を、昨年から引き続き上映の25の劇場では新たに50本を上映するそうなのですが、注目なのはその新たにセレクトされた50本の中に、「さよならをもう一度」(アンソニー・パーキンス、イングリット・バーグマン、イヴ・モンタン共演)が選ばれていることです! トニーの名演(カンヌ映画祭主演男優賞受賞)をニュープリントでスクーンの大画面で鑑賞出来る機会です!
ただし、震災の影響で上映中止になっているケースも多い様子なのが残念。詳しくは、ホームページをご覧下さい。
一昨日のことです。母の毎月の施設利用料金を振り込もうと訪れた銀行で、iPhoneを置き忘れてしまいました。請求書を撮影しておき、その金額を参照しつつ入金したのですが、ATMに置き忘れたのです。
気がついたのは、その後に寄った書店から帰ろうとしたとき。既に小一時間経っていました。すぐに銀行に戻りましたが午後6時過ぎのATMのどこにもiPhoneの姿を認めることは出来ませんでした。
ああ。
こりゃ、だめかもな。
いくつかの可能性が頭をよぎりました。
自分のiPhoneにコンビニ前の電話ボックスから電話してみましたが、誰も出ず。留守電にメッセージを残しました。段々悪い予想が頭を占領し始めました。
自宅に急いで戻り、マックから「iPhoneを見つける」機能で探すと、我がiPhoneは駅近くにいる(というのか、あるというのか)らしいことがマッピングされました。メッセージを送りました。すると、一分もしない内に自宅の電話がなり、ビックカメラの担当者の方が、我がiPhoneを拾った男の人がiPhone売り場に届けてくれてくれた、と教えてくれました。名前も言わずそのまま去ってしまったそうです。
実は、置き忘れに気がついた時にまず思ったのは、中のデータが悪用されないか、とか、駅前のビックカメラと同じフロアにあるソフマップ(中古を扱っています)に売られてしまうのではないか、とか、そんなロクでもない想像ばかりでした。
でも、事実は全く違いました。
ただ、運が良かった、ということかもしれません。
もっとマズイことになっていたかもしれません。
でも、ぼくは、恥ずかしくなりました。
その方に、心より感謝したいと思います。
大林監督によれば、「8月1日の『長岡追悼花火』をプロローグにして、『真珠湾の追悼花火』をエピローグに、そして『この空』に咲く『花』の祈りの物語を主題に、この映画は『長岡古里映画』、一本の願いのファンタジー、健気な『夢』として完成されるべきでしょう」という、待望の新作。
これまで故郷だけでなく、北海道の小樽や四国の香川県観音寺市など日本の古里を巡り、「古里映画」をつくり続けてきた大林監督。本作のキャストは未定だが、4月には撮影準備に入り、年内にクランクアップを迎える予定だという。
映画『「この空の花」 -長岡花火物語-(仮題)』は2012年春公開予定
さて、しばらくの間僕がSFに夢中になっていた頃のSFマガジンを読み直す、というか、眺め直す(?)というシリーズを書いてみようかと思っている。きっかけは、長らく実家の押し入れの中でかび臭くなったまま眠っていた昔々のSFマガジンや奇想天外を何十年ぶりかで出して棚に並べたからである。五年ほど前に実家に戻って以来、様々な父や母の遺物と格闘してきた(まだ続いている!)一環で再び日の目を見たのだ。不憫に思い、ぱらぱらとめくるとそこには嗚呼、我が青春のSFの日々が……。
と、思いきり感傷モードになっても困るわけだが、各号の目次を見ているだけでも、本当にSFに夢中だった頃、何もかもが新鮮で驚きに満ちてわくわくしていたことを思い出す。何しろ読書体験のその始まりにSFが位置しているので、読書=SFと言う時期が初期には続いたのだ。しかし少しずつその感激も薄れ、冷静に個々の作品を評価する様になった頃もまた興味深い。読書の範囲が少しずつ広がり、庄司薫に出会い、河合隼雄や岸田秀、日高敏隆、村上陽一郎などを読み、さらに村上春樹のデビューがあって……と僕の読書歴は続いていくのだが、今回はとにかく、玉石混交ながらきらめくような読書の魅力を僕に擦り込んでくれたSFマガジンを読み直してみる。もちろん、本当に全部読み直すことは出来ないのだが、一号ずつしげしげと眺めてみたい、という訳だ。
お付き合い頂ければ幸いである。
さてさて、では早速その第一回は、僕とSFMの出会いとなった1970年3月号から、ということにしよう。僕は6月が誕生日なのでこのとき13歳。ということは中学一年三学期ということか。確か小五か小六の時に角川の文庫でバローズの『火星のプリンセス』を見つけ、大人の本と思っていた文庫本にも僕が読める本が(ちらほらと)混じっていることに気がついて嬉しかったのだった。文庫なら安くてなんとかお小遣いで買えたからである。そして中学になり、実はSFの専門誌があったのだ、ということに気がつく。衝撃だった。何とも奇妙な表紙の雑誌が、そのSFマガジンだった。
今ではしわしわよれよれの表紙で本文も黄色く変色しているが、もちろんピカピカだった中学一年の僕が店頭で手に取ったときにはSFMもピカピカだった。では、さっそく中身を見ていこう。
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