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2008年2月3日 - 2008年2月9日に作成された記事

2008年2月 6日 (水)

立ち止まるな。

 今、テレビ画面ではワールドカップアジア予選が放映中。日本がタイと戦っている。小雪が舞う中の厳しい試合だ。前半を終えて一対一。
 先ほどまでよく使うガストで仕事をしていた。昼食に行って、そのまま夕方まで仕事を続け、一応区切りがついて夕食を食べてから帰ってきた。ひとつは、外に出て集中してやろうと思ったから。またひとつは、自宅が寒すぎるからだ。寒すぎる。特に仕事部屋にしているPowerMacのある部屋はダメだ。小さな電気ストーブがあるだけなんだから。指の先まで冷えきってしまう。石油ストーブもあるのだけれど、そこら中古本だらけでスペースもなく、危なくて炊く気にならない。
 仕事というのは、みなとまち絵地図のシリーズのことだ。一昨年もひとつやったのだが、日本各地の港町を中心とした絵地図のシリーズがあって、その文章を担当するのだ。年に5〜6点並行してシリーズの企画が進むので、そのうちの一つを担当させてもらったのだ。
 今年は沖縄の那覇港を担当した。年末に取材に行って、帰ってから文章をまとめて、今週頭に絵地図の初稿が上がってきたところ。今日はその初稿の校正作業をやっていた。
 なにしろ、古本屋も少しずつ軌道に乗ってきたとはいえ、とても食べて行ける水準ではない。副業も必要な状況なのだ。(※ライター家業やります。試しにやらせてみよう、という奇特なお方! そう、あなたです。メールを下さい)
 とはいえ、大学新聞の企画をして、記事を書き、写真を撮り、座談会を構成司会して、紙面をレイアウトし、校正していた頃の勢いは、今はない。ブランクもあり、いささか全体に錆び付いている感じが我ながらする。もっと仕事をしないと勘が戻っていない感じが正直する。
 昨年、ぼくは割に映画を良く観た。でも、本はよくは読めなかった。目が悪くなってきたためもあるかもしれない。好奇心が減退しているのかもしれない。集中力がなくなってきているのかもしれない。まあ、原因はいろいろ考えられるだろうが、要はそれを補う努力が足りないのだ。
 読むことと書くことはリンクしている。書くこともできなくなっているのだ。それにも原因は確かにある。でも、だからといってずっと立ち止まっているわけにもいかない。恥知らずであろうと、前に進まなくてはならない。生きている限り。
 というような駄文をただ勢いで書いている間に日本が三点目を取った。中沢のヘディングだ。これで1—3で日本がリードしている。いいぞ。今度はコーナーだ。これはキーパーに弾かれた。
 ぼくは止まってしまう。つい立ちすくんでしまう。でも、止まらないことだ。村上春樹じゃないけれど、ダンスし続けなくてはいけないのだろう。今はそんな気がする。
 ゴールまで走り続けるのだ。シュートを打ちもせずに、試合を放棄することはできない。

2008年2月 5日 (火)

みんなひとり —孤独社会日本の成熟—

昨年4月18日毎日新聞夕刊に載った哲学者・鷲田清一さんのインタビュー記事がある。
そこに、国連児童基金の調査データが引用されていた。
 「孤独を感じる」と答えた15歳の割合(%)
日本   29.8
アイスランド   10.3
ロシア   8.5
カナダ   7.6
オーストリア   7.2
スウェーデン   6.7
オーストラリア   6.5
フランス   6.4
ドイツ   6.2
イタリア   6.0
英国   5.4
スペイン   4.4
オランダ   2.9

ダントツで日本が一位なのだ。これには理由があると思う。
日本という国が置かれることになった独特のポジションが反映されているに違いない。
大雑把に言えば、農耕民族的一体感を基本とする社会を築いてきた日本の社会は、一方で最も柔軟に積極的に西欧の社会から学び、取り入れてきたアジアの国であることから、孤独の問題が個人において顕在化してきたのだろう。日本人はいまやっと、個人というものを西欧に習って立ち上げようとしているところなのだろう。そこで孤独の問題は避けて通れないに違いない。
孤独と孤立は違う。
と、誰かが言っていた。孤立ではない孤独から個人を始める。言わば、それが今日本人が一人ひとり密かに戦っている戦いなのではないだろうか。

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高校の吹奏楽部定期演奏会を聞く

 もう、昨秋のことなのだけれど、旧友に誘われて習志野市立習志野高校の吹奏楽部定期演奏会に行った。チケットは完売、当然客席は満杯の習志野文化ホールで大変力の入ったコンサートを見せてもらった。幼稚園以来というその友人の長女が出ているのだ。高3で最後の演奏会になるらしい。
 ぼくの中での彼女の印象は、まだ幼かったころのもので、今でもそのころの印象が強いのだが、時は流れてもう大学受験というわけだ。
 習志野高校は、吹奏楽コンクールの全国大会で金賞を連続受賞するような有名校だそうだ。
 そして期待以上の演奏でぼくは感激することになった。三日間に渡るプログラムは質量共に充実していた。演奏だけではなく演出の部分でもずいぶん時間をかけて練り上げられていることが明らかであった。
 終わって直後の感想は、ああ、高校野球なんだ、だった。
 一度きりの高校時代の輝きが演奏にも現れているのだ。
 友人の顔もしっかり娘のお父さん。さぞかし嬉しかったことだろう。

 続く時には続くもので、続いて市立柏高校の吹奏楽部の演奏会を聞きに行くことが出来た。こちらも全国大会の超有名校。習志野高校に勝るとも劣らない高校だそうで、こちらもチケット入手は困難らしいのですが、最近高校教師の旧友が赴任してチケットを取ってくれたのでした。こちらもさすがの演奏を聴けて大満足。
 一生懸命の高校生っていいですね。
 というより、一生懸命って、いいですね。
 ほんと。

2008年2月 4日 (月)

自己像について

 ぼくはどちらかと言えば確実にケーハクな人間である。最近は歳が歳なので、一応落ち着きのある物事のわかった人間のような顔を取り繕っているつもりではあるが、そんなのは薄い皮一枚であって、中身は世間の常識が身に付かずに年齢だけは重ねた困った人間である。
 これでも30代の終わり頃までは、もっと自信を持っていたような気がする。自分にはある種の才能がある。能力もある。やがてぼくは大きな仕事をするだろう。
 そんな風に。
 でも、40代のどこかのポイントで、ぼくはその(根拠のない)自信を失ってしまったようだ。
 自信は経験に裏付けられてこそ本物になるのであって、ぼくは本当の経験というのをスルーしてしまったように思う。もちろん、そんな気がする、という自分の感覚が正しいのかどうか、それはわからない。過大評価と過小評価は表裏一体だろう。
 そして現在、ぼくの未来像は風船がしぼむようにみすぼらしいものになってしまった。それは否定できない。

 こんなところがぼくの自己意識像の、すべてとはいわないが(うぬぼれもあるので)大きな部分を占めている。
 中身が軽薄ならば、外見も軽薄にすれば釣り合いが取れていいとは思うが、つまらぬプライドもあり、なかなかそうもいかない。どれほど注意しても軽薄さがにじみ出ているのではないかとは思うが、あからさまに指摘されれば流石にいい気はしない。
 少なくとも、人か親切に指摘してくれる前に、自己像を補正しておきたい。そんなこともあって、ちょっと書いてみた。
 今回はちょっとばかり、シリアスだったかしら。うん。

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