« 小田和正とクリスマスの約束2009 —あの感動はどこから来たのか—   | トップページ | 母との大晦日、新年 »

2009年12月28日 (月)

さよなら、2009

2009年が過ぎ去ろうとしている。
こう書くと、ふと、何か間違ったような気がしてしまう。
2009年?
まてよ、2001年がそもそもずっと未来のことだったはずなのに、2009年ってなんだ?

まぁ、加齢による単純な錯誤とでもいうべきものなんだろうけれど、実感が追いついていかない。実感が追いつかないまま、実際の年代だけが10年先に進んでしまったような感じがある。
感覚を何とかキャッチアップして「現在」にチューニングすべきなのか。
それとも、この感覚のギャップは次第に大きくなり、つまりはそれが「老人」になることの実態だ、ということに思い至る、ということになるのだろうか。

この実感が追いつかない、ということの中には、なんだか漠然と今現在が気にくわない、という好悪の気持ちも含まれているのかもしれない。そして、この気持ちには、追いついていけないので嫌になる、という鶏と卵みたいな側面も含まれているのかもしれないから、放っておけばこの傾向はさらに加速する可能性が高い。

若き日に、西洋にかぶれて、晩年に東洋に、日本に回帰する、というパターンがある。
僕にもそんな日が来るのだろうか、と秘かに若い頃から関心を持っていた。
その指標のひとつが、演歌だ、と思っていた。
僕はポップスで育ったと思っているのだが、当然演歌なども耳にして育ってきた。これが、演歌っていいなぁ、とか思い始める日が来るのだろうか。
わが事ながら、それが心配なような、興味深いようなことだったのだ。
しかしいまのところ、演歌への回帰は起きていない。その気配もない。
しかし、これは何かの証明であるより、単に指標の設定が誤っていただけかもしれない。
回帰はしないにしても、衰退、退化、萎縮などが起きていないとは言えまい。というか、起きている。
特に、肉体面にははっきりと刻印がされてきた。

まぁ、ネガティブな面に目が行くが、もちろんそれなりに改善されたり、進歩している面だってある(と思う、たぶん)。
あまり、自信はないので、誰か見つけて教えてください。頼む。

しかし、まずは健康で、病気やケガなどせずに新年を迎えたいものだ。みなさん、よいお年を。

« 小田和正とクリスマスの約束2009 —あの感動はどこから来たのか—   | トップページ | 母との大晦日、新年 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/97220/32771245

この記事へのトラックバック一覧です: さよなら、2009:

« 小田和正とクリスマスの約束2009 —あの感動はどこから来たのか—   | トップページ | 母との大晦日、新年 »

カテゴリー

  • dozeu.net『雑想ブック』
    平成17年に自主製作した僕のエッセイ集です。
  • まちづくり
    地域づくりコーディネーターとして働いています。市民活動団体、NPO等で地域活動にもかかわっています。
  • 感想・思索
    読書や、観劇、コンサート等の感想や、日々触れるさまざまな事柄について考えたこと、感じたことなど。

最近のトラックバック

2016年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ