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2009年12月27日 - 2010年1月2日に作成された記事

2010年1月 1日 (金)

母との大晦日、新年

 父はすでに亡く、母と今年も大晦日、新年を共に過ごす。
 今、テレビでは紅白歌合戦をやっている。
 久石譲が作曲し、歌詞は視聴者から募ったものを基にしているという歌、「歌のちから」を、出場歌手が歌い継いでいる。あれ、ちょっと、「クリスマスの約束」風だが、残念、あれほどの感動は生まれようがない。曲の善し悪しとは関係なく。

 母は、茶の間の藤椅子に座って、落ち着かなくきょろきょろしている。小さく「どうしたらいいのかしら」と繰り返しつぶやいている。母はここが自分の家だとわからない。自分がどこにいるのかわからない。一緒に部屋にいるぼくのこともわからない。認知症が本当に進んでしまったのだ。
 繰り返し、説明しても、三分後には忘れている。
 どんなにか不安なことだろう。
 ぼくには為す術もない。繰り返し説明するほかには。
 苛立ってはいけない。一番辛いの母なのだ。

 スーザン・ボイルさんが今歌い終えた。今年は、参加歌手数が少し減らされたとか。その分、少し進行に余裕が生まれているとのこと。母は少し落ち着いている。考えすぎると疲れるのだろう。まだ寝る時間には早すぎする。
 明日は元旦。平成22年、2010年が始まる。
 母がまた何かぶつぶつつぶやいている。twitterでもやらせてみるか。(もちろん、冗談だけれど)

 母が寝ると言い出した。さて、茶の間に布団を敷くのだ。何しろここにしかエアコンがないのだから。夜中のトイレがわからないから、ぼくも茶の間に一緒に寝ることにした。何しろ、トイレの場所が覚えられないのだから。

 今お昼を食べた。元旦である。もう、2010年だ。みなさん、今年もよろしくお願いいたします。

 昨夜は7〜8回起きて母のトイレに付きあった。1、2時間ごとに起きておしっこに行くのだ。そのたびごとに、まずトイレの方向を教え(どういうわけか違う方向のドアを必ず開けようとするのだ。)、台所へ向かうのを止め、風呂場に入ろうとするのを止め、なんとかトイレに誘導。出てくるころに迎えに行き、(その頃には、自分が寝ていた部屋も忘れている)また連れ帰り、寝せる。母は他人に感謝するように「どうもありがとうございます」と言う。一度は自分でトイレに鍵をかけ、出られなくなって慌てているのを懸命に鍵を外すように呼びかけた。そもそも起きたり、寝たりするのも大変だ。ベッドに慣れている母は、蒲団はなかなか辛いみたいだ。明け方ころになると、こちらも寝不足でだんだん寛容な気持ちがなくなって、つい怒鳴る。「そっちはトイレじゃないってば! 風呂場だって」等。
 しかし、母は普段はグループホームにお世話になっており、僕は楽をさせてもらっている。いろいろな事情で自宅介護をしている人はこれが三百六十五日だ。

 今日は午後、ハイヤーを呼んで、母と一緒に駅前近くホテルに宿泊予定。その方が楽そうだと踏んだのだが、うまくいくかなぁ。

 

2009年12月28日 (月)

さよなら、2009

2009年が過ぎ去ろうとしている。
こう書くと、ふと、何か間違ったような気がしてしまう。
2009年?
まてよ、2001年がそもそもずっと未来のことだったはずなのに、2009年ってなんだ?

まぁ、加齢による単純な錯誤とでもいうべきものなんだろうけれど、実感が追いついていかない。実感が追いつかないまま、実際の年代だけが10年先に進んでしまったような感じがある。
感覚を何とかキャッチアップして「現在」にチューニングすべきなのか。
それとも、この感覚のギャップは次第に大きくなり、つまりはそれが「老人」になることの実態だ、ということに思い至る、ということになるのだろうか。

この実感が追いつかない、ということの中には、なんだか漠然と今現在が気にくわない、という好悪の気持ちも含まれているのかもしれない。そして、この気持ちには、追いついていけないので嫌になる、という鶏と卵みたいな側面も含まれているのかもしれないから、放っておけばこの傾向はさらに加速する可能性が高い。

若き日に、西洋にかぶれて、晩年に東洋に、日本に回帰する、というパターンがある。
僕にもそんな日が来るのだろうか、と秘かに若い頃から関心を持っていた。
その指標のひとつが、演歌だ、と思っていた。
僕はポップスで育ったと思っているのだが、当然演歌なども耳にして育ってきた。これが、演歌っていいなぁ、とか思い始める日が来るのだろうか。
わが事ながら、それが心配なような、興味深いようなことだったのだ。
しかしいまのところ、演歌への回帰は起きていない。その気配もない。
しかし、これは何かの証明であるより、単に指標の設定が誤っていただけかもしれない。
回帰はしないにしても、衰退、退化、萎縮などが起きていないとは言えまい。というか、起きている。
特に、肉体面にははっきりと刻印がされてきた。

まぁ、ネガティブな面に目が行くが、もちろんそれなりに改善されたり、進歩している面だってある(と思う、たぶん)。
あまり、自信はないので、誰か見つけて教えてください。頼む。

しかし、まずは健康で、病気やケガなどせずに新年を迎えたいものだ。みなさん、よいお年を。

2009年12月27日 (日)

小田和正とクリスマスの約束2009 —あの感動はどこから来たのか—  

 「クリスマスの約束」という番組がある。2001年から毎年12月25日(多少のずれは年によりある)の深夜にTBSで放映されている小田和正をホストとした番組である。
 僕は「さよなら」でオフコースがブレイクする少し前からの小田ファンだけれど、うかつなことにこの番組のことに気がついたのはほんの二三年ほど前からに過ぎない。ここ二三回(二三年)この番組を見て、小田さんの「思い」が色濃く投影された番組作りを、大変興味深く思っていた。
 この番組のスタートは、必ずしも順調ではなかったようだ。(概要はこちらを参照のこと。http://ja.wikipedia.org/wiki/クリスマスの約束
 しかし、2009年の今年は、小田和正が「前からずっとやってみたかった企画」として、思い切った企画が実現した。小田さんを始め、今年のゲスト(AI、Aqua Timez、いきものがかり、キマグレン、Crystal Kay、財津和夫、佐藤竹善、清水翔太、JUJU、スキマスイッチ、鈴木雅之、STARDUST REVUE、中村 中、夏川りみ、一青 窈、平原綾香、広瀬香美、藤井フミヤ、松たか子、山本潤子、以上50音順)が全員で、それぞれの代表的なオリジナル曲をワンコーラスずつメドレー形式で歌い継ぐのだという。タイトルはそのままズバリ、《22分50秒》。メドレーの曲の長さがそのままタイトルになっている。全体のアレンジは小田が行っている。
 番組は、その小田の企画の立ち上げから、参加ゲストたちとの話し合い、テレビ局スタッフとの話しあい、リハーサルの模様等をドキュメントで追っていく。そして、本番を迎える。

 誰もが、始めは懐疑的だった。まず番組スタッフが、不安をあらわにしていた。
 様々な個性を持つアーティストたち。小田は彼らに手紙を書いて、オファーしたと言う(註1)。
 しかし、彼らは歌い方が違い、フィーリングが違う。年齢も違い、音楽への取り組み方も違うだろう。同じく舞台に立つとは言え、監督がいて、脚本があり、共演者とのアンサンブルでドラマという芸術形態を作り上げていく役者とは違い、自分たちの言葉・音楽とパフォーマンスで、自ら独自の世界をステージ上で築くことに命をかけるシンガーたちは、基本的に常に自分が主役だ。これだけたくさんの同業者たちと「共演」する、自分が脇役になる、というような体験に慣れているわけではない。

 

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