« ぼくは、ここにいるよ。  岡村孝子コンサート | トップページ | 栞1 »

2010年5月29日 (土)

歳をとるということ


 2001年10月15日(月)、S&Gのアート・ガーファンクルを聴きに、オーチャード・ホールへ行って来た。と言っても、S&Gと言われてピンと来る人はどのくらいいるのだろう。

 ポール・サイモンの名は知っているだろうか。その昔、サイモンとガーファンクルは、世界で最も有名なデュオだった。その「解散」は大きなニュースだった。でも、グループの解散と違って、元々二人っきりのデュオの解散は、二人が一人ずつになる、というわけで、何だか余計に淋しい気がする。……などというのも、ずいぶんと昔の話で(ざっと30年前!)、すっかりおじさん、というより初老となったガーファンクルが、ステージに立っていた(半分くらいは椅子に腰掛けていた)。
 ニューヨークの心、などの新しい(くもないか)歌はもちろん、S&G時代の、ミセス・ロビンソン、スカボロー・フェア、明日に架ける橋、サウンド・オブ・サイレンス……。実は(もちろん)S&Gを生で聴いたことがあるわけではないから、この歴史的名曲を(1/2とは言え)オリジナルで、生で聴くのは初めてである。
 一緒に行った友人はともかく、ぼくは洋楽をリアルタイムで聴いていたのは70年代の終わりまでである。邦楽こそ聴き続けたものの、ほんの一部のプログレ系を除いては、洋楽は懐かしのメロディー、ということになってしまった。
 で、時々、その懐かしのオリジナル・アーティストが日本にやってきたりすると、誘いに乗ってホイホイと聴きに行ってしまい、いろいろ感じて様々な感慨に耽ることになったりする。
 昨年のギルバート・オサリバンの時には感激してニュー・アルバムを買ってしまった。ママス・アンド・パパスの時には、オリジナル・メンバーが一人もいないことに愕然とした。

 アート・ガーファンクルは、とても気持ちよく歌っていた。ステージには才能豊かなミュージシャンと共に、若くて美人の奥さんと、子供まで登場して、日本における幸福なコンサートの一夜をもり立てていた。
 そこには、幸福感があって、若きS&Gが、歌にも詩にも表現していた「疎外感」などというものは、どこにも見あたらなかった。
 それは、当然のこと、なのかもしれない。
 歳をとるということ。
 誰だって歳をとり、変わっていく。
 でも、ギルパートは、アローン・アゲインを歌いながら、今でも歌の最後には、危うく涙を流しそうになったんだけれどな。
      (2001.10.17 初出『review japan』泥鰌の話)

(2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

« ぼくは、ここにいるよ。  岡村孝子コンサート | トップページ | 栞1 »

dozeu.net『雑想ブック』」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/97220/34934305

この記事へのトラックバック一覧です: 歳をとるということ:

« ぼくは、ここにいるよ。  岡村孝子コンサート | トップページ | 栞1 »

カテゴリー

  • dozeu.net『雑想ブック』
    平成17年に自主製作した僕のエッセイ集です。
  • まちづくり
    地域づくりコーディネーターとして働いています。市民活動団体、NPO等で地域活動にもかかわっています。
  • 感想・思索
    読書や、観劇、コンサート等の感想や、日々触れるさまざまな事柄について考えたこと、感じたことなど。

最近のトラックバック

2016年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ