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2010年5月29日 (土)

トニーと『サイコ』の影


 その1

 月並みかも知れないけれど、まずはぼくの『サイコ』体験から話を始めよう。
 それがいつのことだったか、正確には覚えていない。高校の1年か2年の頃だ。たまたま教育テレビでヒッチコックの『サイコ』をノーカットで放送した。名画劇場というような感じだろう。果たして教育上いいのかどうか、今となってみると甚だ疑わしいが、ぼくはひとりでコマーシャルもなしに、予備知識すらまったくなしに(期せずしてヒッチコックが初公開時に採った開映20分を過ぎたら入場を禁ずる、という前代未聞の措置と同じ状態だった)観てしまったことになる。
 アンソニー・パーキンス主演ということは知っていた。まだ未見だったがオードリー・ヘップバーンの熱烈なファンだったぼくは、オードリーが『緑の館』でトニーと競演している、という知識だけはあったのだ。
 ところが、見始めて『サイコ』の強烈なサスペンスに引き込まれていくことになる。そして例のマリオンのシャワーの惨殺シーンでは文字通り信じがたいショックを受けた。しかし、それは主人公(と思いこんでいた女性)が映画の1/4で殺されてしまうという映画構成上の意外さが大きなファクターだった。本当に戦慄したのはやはりあのラストシーンだ。これは実に深い恐怖をぼくに与えた。本当の「キチガイ」を見てしまった、という戦慄。しかも、そのキチガイに十分に感情移入して、女主人公が死んだ後は彼こそが主人公だと思って見ていた、その挙げ句のことだ。つまり、パーキンス演ずるノーマン・ベイツに感情移入して彼のつもりで見ていたぼくは、ラストで実は「あなた」が本当はキチガイだったのです。と明かされたようなものだったのだ。

 キチガイ、というものが世の中にいる、ということは知っていた。しかし、ヒッチコックは、ノーマン・ベイツを実に繊細に、まったく普通の好青年としてトニー・パーキンスに演じさせ、しかもそれを深層心理というねじれを使って映画を観るものの無意識に矛盾なくつないでしまった。あなたも狂っているかもしれない、というメッセージとして。そのトニーの演技があまりにも完璧だったことが致命的だった。ヒッチの演出も完璧。ジャネット・リーの演技もまた最高だった。悪夢を作り上げるのに最高の布陣をひいていたのだ。
 『サイコ』という映画は何だったのか。ノーマンというひとりの弱い人間、不幸な男の造形、マリオンという不幸な女の造形を通して、人間という生き物の精神の「狂い」を描いた映画だ。そして、その「狂い」はあなたにも無関係ではない。そう映画は語っている。
 そう。「気が狂う」ということほど恐ろしいことは、あまりないのではないか。僕たちは、「死」と同じく日常生活では自分には無関係なもの、として生きている。
 しかし、それらは決して無関係なわけではない。
 いずれも「私」が壊れてしまう究極の体験を名指すものだ。「死」は私の存在そのものを終わらせてしまうし、「狂気」は生きながら私の存在を壊してしまう。
 不倫中の恋人とのままならぬ運命を打開したい一心の出来心で大金を盗んでしまうマリオンの「狂い」。マリオンは育ちの良さが一目で分かるし、それが不幸な出来心であることは誰にでも分かる。ノーマンと話す内に自分の非を悟ってお金を返そうとしていたマリオンが殺される。その悲劇。しかも、その悲劇は決していわゆる悪人によって起こされたのではなかった。マリオンの「狂い」よりひとまわり深く救いのない「狂い」にねじ伏せられたノーマンによるものだった……。ノーマンという人間にも実際好意を抱かざるを得ない。時として異常な顔を見せるもののそれは気の弱さや優しさに隠されてしまう程度のものと我々は思う。しかし、ノーマンと言う人間はその「狂い」に私というものを完全に解体させられた人間だった。最後にはノーマンは自分以外の別のものになってしまう。「私」は消え、あるいは乗っ取られる。
 さて、ぼくはこの映画のショックを長い間うまく消化できなかった。いや、もしかすると、消化できる日は来ないのかも知れない。そして、この映画を作ったヒッチコックにも、ノーマンを演じたアンソニー・パーキンスにも、アンビバレンツな感情を抱かざるを得なかった。つまり、この映画以来トニー・パーキンスの映画を観るたびに彼に親近感を抱かざるを得なかったからだ。実際、日本人は彼に非常な親しみを持ったことは明らかだった。それは実際、彼が『サイコ』出演後も続いたのだ。『スクリーン』の人気投票に置いて、パーキンスはデビュー直後の1957年頃から約10年間ベストテンの常連だった。『サイコ』の公開は1960年だから、実にその後もパーキンスは立派に人気を保ったと言える。『ブラームスはお好き』ではカンヌ映画祭の主演男優賞を取ったが、これは『サイコ』の翌年の仕事だ。ここでも彼は繊細な青年を演じている。しかしここで狂うのはイングリット・バーグマン演ずる年上の女性への恋愛にであって、精神の瓦解ではない。ないにも拘わらず、ノーマンの演技の深さは、フィリップの造形にも影を落としているかもしれない(観客が無意識にも見てしまう!)。しかし、冷静に見て、ここでの彼は本当に魅力的に恋する青年を造形しているし、その感情を掘り下げて表現することに成功している。
我々は、『サイコ』におけるような狂気を「無関係」と思いたい気持ちと裏腹に、まったく無関係ではないことをも知っている。その恐怖に密かに耐えて生きている。それが大袈裟にではなく我々の実存ではないだろうか。ぼくは『サイコ』を見たくなかったし、実際長い間見ていない。ぼくは今でも『サイコ』が怖いのだ。それにも拘わらず、その恐怖に耐えて我々は自分の生活と人生を造形していく。
 その勇気や元気をも生まれながらに持っているのが我々人間だ。

 パーキンスは、繊細な青年の役をやる年齢を過ぎるにつれて、徐々に『サイコ』タイプの役が増えていくようになる。それは本人がそれをやりたがったからではなく、そのようなオファーばかりが増えていったことの結果だった。実際、残念なからノーマンのあまりに強烈な印象が彼の役者人生に深く長い影を落としたことは間違いない。観客もプロデューサーも青春の翳りが失われるにつれ、トニー・パーキンスという素晴らしい演技者を、えせ『サイコ』的なタイプキャストにと塗り込めてしまうようになっていった。これはトニーにとってはもちろん、我々にとっても誠に残念なことだった。彼はインテリジェントで真に深い演技者だったからだ。
そのパーキンス自身は、『サイコ』とノーマン・ベイツについてどう考えていたのだろうか。
 ジャネット・リーが書いた『サイコ・シャワー』という本がある。最近この本を読んだ。そこに共演者から見たパーキンスの姿が描かれている。
 トニーの親友のポール・ジャスミンによれば、この役をオファーされたパーキンスの反応はこうだった。「ぼくの記憶では、彼はただヒッチコックと仕事が出来るというので興奮していただけです。彼はヒッチコックの映画に出ることを自分にとって大きな挑戦だと思っていました。彼は本当にヒッチコックを愛していました。後になってからは良く冗談のタネにしていましたが、それは自分がいつも『サイコ』のことばかり言われるからでした。当時彼があの役を悪く言ったり、ためらったりしたことなんて一度もありません。」
 撮影中のパーキンスについての証言からいくつか。まず始めにジャネットの証言。
 「アンソニー・パーキンスと一緒に仕事をすることはきわめつけの冒険だった。彼は本当にエキサイティングで、霊感にあふれる俳優である。トニーはまだ撮影が始まらないうちから、素晴らしく奇妙なアイディアを次々と思いついてヒッチコックを心底喜ばせた。例えば映画のあいだじゅうノーマンはキャンディーを口に入れているべきだと考えついたのもトニーだ。これは極めて効果的で、見事に的を射ている。」「自分の役柄を準備しているときのアンソニー・パーキンスは実に深くまで掘り下げていたのだと私は思います。それから自分の表現を固めるのにも時間をかけていました。それはアンソニー・パーキンスが本物のプロだったからです」
同じく競演のマリオンの恋人を演じたジョン・ギャヴィンの証言。
 「ぼくはトニーがあなた(ジャネット)相手のときどうだったかは知りませんが、でも彼は誰が相手のときでも同じだったと思うのです。彼は熱心で、寛大な俳優でしたが、そのシーンが終わってしまうと、自分の楽屋に消えてしまうのです。それが無礼な態度だとか、お高くとまっているとか、そんなふうには思えませんでした。自分のやった仕事についてよく考えたいという欲求の現れに思えましたし、だからぼくもその気持ちを尊重しました。彼はいつもとてもいい人でしたが、顔を合わせるのはほとんど撮影現場に限られていました。それからあることがきっかけで、ぼくは心から彼を慕うようになりました。ある日彼がぼくの所にやってきて、彼から見てぼくがどれだけいいかと言ってくれたのです。その時ぼくは自意識過剰気味だったので、『君はとてもいいよ、思っていたよりもずっといい』と彼に言ってもらえたことの意味はとても大きかったんです。」

 その2

 さて、トニー自身は本当のところ、『サイコ』に出演したことをどう捕らえていたのだろうか。
 彼の演技者としてのキャリアを決定付け、演技的に素晴らしい達成となった役でありながら、その後の役者人生を歪めてしまう元凶となった曰く付きのノーマン・ベイツ役を。
 引きつづいてジャネット・リーの『サイコ・シャワー』からトニーの証言をみてみよう。
 パーキンス自身も、この不気味な役を演ずることにまったく不安がなかったわけではないらしい。そのことについて、ヒッチコックに悩みを打ち明けている。何年も後の回想で彼は言っている。「これが賭だと言うことにはヒッチコック氏も賛成してくれました。この映画がどれだけの成功になるかは彼もまだまったく予想していませんでしたが、いずれにせよやってみた方がいいと勧めてくれたのです」
 ところが、映画は爆発的なヒット作となった。ヒッチコックの(当時は)前代未聞の宣伝が当たったと言うこともあっただろう。彼は映画開始後20分を過ぎたら途中入場は許さない、とテレビコマーシャルの中で自ら出演して宣言した。映画館の興業主の反発を押さえて実行させたのだ。劇場から出てきた人にもストーリーは喋らないで下さい、と頼んだ。
 結果は現在のお金に換算して全世界で100億円を優に超える興業収入の大ヒットとなった。しかし、批評の方は必ずしも好評というわけではなかった。演技についての絶賛がある一方、ヒッチコックの作品の汚点とまでいう批評があった。
 しかし、最初の衝撃が過ぎた頃から批評の評価が上がり始める。そして、いまや映画の教科書に載る作品となった。
 ジャネットはアカデミーの助演女優賞にノミネートされた(が受賞できなかった)。一方のトニーはノミネートさえなかった。ノミネートはヒッチコックの最優秀監督賞、撮影賞(白黒)、美術・セット装飾部門(白黒)だけだった。その時ジャネットはヒッチコックから一本の電報を受け取っている。彼の電報は「君の仲間の俳優たちのことを恥ずかしく思う」だった(アカデミー賞のノミネートはそれぞれの部門ごとの組合---演技賞ならスクリーン・アクターズ・ギルド---のメンバーの投票で選ばれる。つまりヒッチコックはパーキンスをノミネートしなかったギルドの俳優たちの見識を非難していたのだ。そして監督自身も5度目のノミネートでまたしても賞を逃している)。
 しかし、ジャネットは『サイコ・シャワー』執筆の準備の途中でトニーの次のようなインタビューを発見して衝撃を受けることになる。映画が公開されて間もない1961年1月号の雑誌インタビューでトニーはこう語っている。
 「『サイコ』の成功でぼくは映画界に残る勇気が湧いた。それまで、ぼくは実のところ罪悪感さえ感じていた。たぶん映画はぼくには向いていないと思っていたんだ」
 そして、その記事の中でトニーは言っている。「ぼくはノミネートされるだろうし、ジャネットもきっとそうなると思う」
 ジャネットは、トニーがその後数年間活動の場をヨーロッパに移したことについて、偶然だったのか意図的だったのか、と疑問を呈している。ジャネットにも分からない。しかし、彼の失望が大きなものであったことだけは確かだろう(もっとも、彼のヨーロッパ時代は、実に実りあるものだったと言える。ハリウッドに帰ってこなかった方が良かったくらいだ、とぼくは思う。サガン原作、イングリット・バーグマン、イブ・モンタン共演の『さよならをもう一度』(カンヌの主演男優賞を受賞)。ギリシャでメルクーリと共演の『死んでもいい』。イタリアのソフィア・ローレン共演の『真夜中へ五里』(未見)。カフカ原作、オーソン・ウェルズ監督の『審判』に主演。フランスではブリジット・バルドーと『可愛い馬鹿娘』(未見)で共演した)。
 1960年代半ばにトニーはアメリカに戻ってきた。その時点で『サイコ』が最後の(洒落じゃないぜ)アメリカ映画だったトニーのことを、ハリウッドは『サイコ』俳優として改めて迎えた可能性があるとぼくは思う。その後トニーはタイプキャストに苦しみ始めることになる。ハリウッド中心主義(それは米国中心主義と言っても同じだろう)が、『サイコ』以降のトニーのヨーロッパでのキャリアを無視させ、トニーを『サイコ』の衝撃の中に塗り込めてしまった可能性がある。
 何年も後になって『サイコ2』の話が持ち上がる。トニーは出演を受けるが、結局『3』『4』とつづくことになる続編のすべてでプロデューサーを務めたヒルトン・グリーンはこう語る。
 「トニーとの仕事ではいつも、彼はストーリーのことをとても気にしていたし、話がノーマンの人物像に背かないようにと望んでいました。つまり彼はノーマンをどう描くかについて妥協しなかったのです。それはもちろん、我々みんなが知っているように、トニー・パーキンス以上にノーマンをよく知っている人間なんてありえないからです。それにトニー・パーキンス以上にノーマンを愛することができる人間も一人もいない。だから彼は、ノーマンの人物像が歪められたりしないことを確認してから、参加してくれたのです」
 ジャネットはグリーンに、『サイコ』がトニーの役者人生に与えた影響についても質問している。「僕たちは二、三度そのことを話したことがあります。僕の記憶では、彼はノーマンが自分のもっとも傑出した役であることは認めていました。あの役で自分は大スターとして認められるようになったと思っていたんです。ですが彼は、そのことで傷つきもしたと思います。他の役が演じられなくなったのだとね。彼は人気のある主演男優だし、とてもいい役者だった。彼の名はあの役で人々の心に永遠に残るのだろうけれど、でも他の役ができなくなる原因になった面もありますね」
 もうひとり、『サイコ』の脚本家ジョセフ・ステファノにもジャネットは聞いている。「私にははっきり言えません。ある意味では同感です。(中略)僕は『天使よ、故郷を見よ』の通し稽古を見たことがあったのです。大がかりな場面で、天使の像の代わりに舞台裏の衣装掛けが置いてありました。ただそれだけを相手に、トニーがそばに立ち、これが墓地の天使だと想像するわけです。そして問題の場面が始まったのですが、私の目はこの間中台詞を一言も言わない青年にずっと釘付けになってしまった。彼はジョー・ヴァン・クリーフやそのほかの連中から場面をさらってしまっている。それも一言もしゃべらないで。彼はただそこに立っていたその立ち方がすごかった。その時すぐにではなくて、彼が『サイコ』をやることになったと聞いてからのことですが、『あれこそがノーマン・ベイツだ』と私は自分に言い聞かせた。私の書いたノーマンは、まるごとあの時舞台に立っていたトニーに基づいているんです」
 ジャネットはトニーの家族にもインタビューをしている。トニーは1973年にベリーと結婚、オズグットとエルヴィスの二人の息子を得た。ベリーは『サイコ』の影響について極めてはっきりした意見を持っていた。
 「彼の選択できる範囲に決定的に影響しています。まるで『サイコ』以前には彼にはまったく別の人生があったようなものですわ。まるで別の将来が。彼はわたしにだけ打ち明けてくれたことはありますが、それでさえごくたまにだけでしたけれど。彼は苦々しいことを口にするタイプではないんです……どういうことかお分かりでしょう? 物事を否定的に見るのが好きな人ではなかったんです。いつも仕事ができることを感謝していました……自分の得たものに感謝して満足するタイプだったんです。
 それでも分かることはあります。怪物みたいな役だけはいつでも話がありました、彼が本当に演じるのを好んだような役柄ではなくてね。夫婦で映画を見に行くと、いつも『まああの役はあなたにぴったりじゃない!』と言わずにいられない。そうしょっちゅうは言わないように注意していましたが、とても欲求不満になります。(中略)彼は自分にふさわしいはずのことよりも相当に低いもので我慢していたのだと思いますわ。もし彼が自分の意見をもっと言っていれば、ずっと役の幅が広がっただろうとも思いますわ」
 長男のオズグットは、父親としてのトニーについて語っている。さらに、ジャネットも言うように、トニーが『サイコ』についてどう考えていたかの決定的な答えも持っていたのだ。彼は大学で映画学科に通い、授業で『サイコ』が何度も取り上げられるのを体験している。
 「以前はモンスター映画が作られていて、“恐怖”はロボットとか宇宙からとか、それこそ黒い沼地からの怪物とか言うように、何か人間世界の外部から来るものだった。恐怖は人間とは一切関係がなかった、ただ人間界の外側と関係があったのです。ですが、60年代に現れた恐怖を体験する存在は、中の恐怖、人間性の内側から出てくる恐怖だったのです。『サイコ』はノーマンの内面の苦しみについての映画です……彼は見た目が怪物なのではなく、内面が怪物なのです」
 ジャネット・リーは、この若者にすっかり感心する。ジャネットはトニーが映画産業について息子にどう語ったかを聞いてみた。
 「父はむしろ、ぼく自身が自分で学ぶべきだという感じでした。父はぼくを指導して、なんでも思いついたことをぼくに教え込んで、自分で自分の意見を考えられなくしてしまうようなことは避けたかったんだと思います。ぼくが映画学科に行くことを決心してからも、彼はぼく自身に任せた上で『自分で考えてやるんだ』と言ってくれました。
 この家は一度も映画についての家族になったことがありません。ぼくと父の関係も、弟と父の関係も、母と父との関係も、一秒だって映画についての関係にはなりませんでした。この家はぼくたち家族についての場所なんです。
 ぼくたちのライフスタイルや、こういう生活を享受していられることは、確かに『サイコ』と大いにかかわり合いのあることです……つまり、うちの生活のかなりの部分があの映画のおかげだと言うこと、それは確かです。でもだからって腰を下ろしてはそのことばかり話したりするようなことは決してありません。お分かりでしょう。あれは仕事なんです。歯医者だって家に帰ってから奥さんや子供にその日一日の仕事がどうだったかなんて話したりはしないでしょう、『いやあ、今日はすごい虫歯を診てね』とか」
 そして、すっかり彼のことを気に入ったジャネットに答えて、オズグットは父トニーの人生への『サイコ』の影響について、決定的な話をし始める。
 「一度父に聞いてみたことがあります。『1959年に戻って「サイコ」を引き受けるかどうか、もしこの役を取ったらあとの一生ずっとおなじような役ばかりやらされることになると分かっていたら、父さんはどうする?』
 父はしばらく考えていました。ぼくには、父がまるで丸一日ずっとこのことを考えていたようにも思えました。父はそれから戻ってきてこう言ったのです。『絶対に引き受けるよ!』
 ぼくはたぶん、これは父が自分のキャリア全体のことではなく、まずその役の本質のことを真剣に理解していたからだと思うんです。彼に関心があったのは、自分のキャリア全体をうまくやることよりも、ひとつの役を正しく演ずることだったのです。父は自分自身をたくさんの映画の上に薄く広げることよりも、一本の映画で強烈な衝撃を与えることを選ぶ人でしたし、実際にそうしたんです。
 そして、『サイコ』のあと彼を配役した人たちはほとんどが、彼がやったことの豊かさを見逃していたと思うんです。彼は本当に二重の演技を、それは奥深くやってのけていたんです。『サイコ』を初めて見る友達と一緒に見ると、最初の30分から40分の間は、誰もが彼に共感しているのです……他のなにものでもない、共感です。『サイコ』のあと父を陳腐な恐怖物の役柄にキャスティングした人たちは、彼の演技の深さを見ていなかったんです……父さんはああいう他の役柄をはるかに越える俳優でした。
 『サイコ』を見ると、あの哀れな男のことを誰も一瞬たりとも悪くは思えないんです。そして気がついたら最後に、『ああ、なんてこった。自分はずつとこの男の肩を持っていたじゃないか』ということになるんです。彼が逮捕されるときですら同じです。そして観客に人殺しを気の毒だと思うように仕向けることは……つまり、罪の意識を感じてしまうんですね、それまでずっと殺人者に親しみを感じていたわけだから……父があの映画でやったことのなかでも、一番素晴らしいことのひとつだと思います。そして『サイコ』を見るたびに、彼のことを怖がるよりも、彼の意識の中で起こっている恐怖を気の毒に思ってしまう。これには、本当に驚きます」

 その3

 長男のオズグットの言葉で、トニーが『サイコ』への出演について、どのような自己了解を持ったか、ほぼ我々にも理解できた。テレビの人気番組だった『サタデー・ナイト・ライブ』でゲスト出演したトニーは『サイコ』のパロディを演じて大喝采を浴びたという話もあるし、トニーのユーモアについては、ジャネットの本にこんな挿話もあった。
 1982年のこと、あるテレビ番組で『100人のスターの夕べ』の舞台を中継した。その中で有名な“カップル”についてのコーナーがあった。ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステア、ジューン・アリスンとヴァン・ジョンソンなどが出演した中で、トニーとジャネットは“奇妙なカップル”だった。トニーは舞台の『ロマンチック・コメディ』に出ていてリハーサルに出ることはできなかった。他のカップルは登場するときのために、何か出し物を用意していた。くるくる回るとか、それと分かるようなトレードマーク的な仕草だ。
 トニーがショーの晩になってやっと現れたとき、ジャネットの「わたしたち、なにをしようかしら?」と言う問いに、彼が答えるのに時間はかからなかった。
 「ぼくがかしこまって君をエスコートして、手をつないで、お辞儀する。それからゆっくりとお互いに向き合って、まるでこんな派手に喝采されるなんて信じられない、みたいな顔をするんだ。それからいかにも謙虚に、観客に感謝してまたお辞儀をする」
 ジャネットによると、これは完璧にうまくいったらしい。ただ実のところ、完全にその“ふり”をする必要はなかった、という。
 観客の反応が思いもかけず「本当に」暖かいものだったのだ。

 そして、このエピソードから10年後の1982年、トニー・パーキンスは帰らぬ人となった。享年60歳。死因はエイズだった。同年10月4日付けの『サンデー毎日』の記事がある。2ページのさして長くはない記事だが署名記事だ(毎日新聞ニューヨーク支局田原護立氏)。
 ハリウッド・スターのロック・ハドソンがエイズ死したのが1980年代半ば。その後もロック・グループ、クイーンのフレディー・マーキュリーの死は大きな反響を呼び、プロバスケットのマジック・ジョンソンのHIV感染告白も衝撃だった。そんな中でのパーキンスの死。エイズの発症は2年前。家族他の限られた人にしか知らされず、公表しなかった。ベリーはこう語ったという。「二年間、夫は誰にも知られたくなかった。もし、誰かに知られれば、二度と仕事ができなくなることを知っていたからです。週に一度、病院で外来患者として受診するときも、名前を変えていました」
 トニーがいつ感染したのかは分からない。トニーのスポークスマンも死後の発表でその点については触れていない。しかし、トニーには以前からホモセクシュアルの噂があった(本人は否定していたが)。最後の一年、トニーと最も親しくしていた“パートナー”は、共同して新たなテレビシリーズを計画していたテレビディレクターだった、という。この男性もエイズ発症者で「しばしば、二人だけの時間を過ごしてきた」と証言した。しかし、この証言は、家族への裏切りと言うよりは、心の通じ合う同士が、人生と仕事を語り合っていたと受け止められていた、という。
 トニーと親しかった女優、シャーリー・マクレーンが、「しばしば会っていたけれど、何も知らなかった。ひとり(家族や一部の関係者も含むが)だけで苦しんでいたなんて……それがこの病気の最大の悲劇です」と話しているが、トニーの闘いはハリウッドでは孤独だったようだ。スポークスマンの読み上げたコメントがそのことを物語っていた。
 「愛、自己犠牲、人間への理解というものについて、私は、人生の大半を過ごした激しい競争の世界(ハリウッド)からではなく、“エイズの世界での冒険”を通じて、より多くを学んだ」
 田原記者は、記事の最後をこう結んでいる。
『そして、一本の映画作品にその俳優人生を決定的に塗り込まれてしまった希有の名優は、人生の最後に遭遇した「悲劇の舞台」で、その呪縛から解き放たれた。
 「エイズは神の仕打ちだと多くの人々が言う。しかし、私は、人を愛し、理解し、お互いをいたわることを教えるためにもたらされたものだと信じている」
 俳優パーキンスの最後の“台詞”に、夢想と現実に戸惑うノーマン・ベイツの面影は微塵もなかった。合掌。』

 

 

 付記 ジャネット・リーの『サイコ・シャワー』(筑摩書房。「リュミエール叢書25」2369円)からは大量に引用させていただいた(たぶん、ルール違反に相当するくらい)。記して感謝したい。パーキンスについてだけではなく、『サイコ』についての一級の資料です。是非買って読んでみてください。
 なお、一部「キチガイ」という用語を使ったことについて、数少ない読者のSさんから、ご指摘を受けた。ごもっともです。ですが、いまのところ、あえて改変はしていません。デリケートな問題ですが、そして、ぼく自身明確に自分の考えを述べられるか疑問ですが、この場で少しその点について補足しておきます。
『本当に戦慄したのはやはりあのラストシーンだ。これは実に深い恐怖をぼくに与えた。本当の「キチガイ」を見てしまった、という戦慄。しかも、そのキチガイに十分に感情移入して、女主人公が死んだ後は彼こそが主人公だと思って見ていた、その挙げ句のことだ。つまり、パーキンス演ずるノーマン・ベイツに感情移入して彼のつもりで見ていたぼくは、ラストで実は「あなた」が本当はキチガイだったのです。と明かされたようなものだったのだ。』
 この文章でぼくは、この用語を“痛い”ものとして使っている。この痛みを表すに他に言葉がなかったのだ。それがあるいは伝わっていないのかも知れない。精神病患者……などではない、キチガイ。この言葉はやはり『サイコ』のシャワーシーンで振り下ろされる包丁のようにアブナイコトバだ。この映画には、ひとりの俳優の人生をねじ曲げるくらいのアブナさは十分にこもっている。
 アンソニー・パーキンス。彼はパッシブな印象を与えるが、通常を遙かに越える困難と、立派に闘った人間だった、と思う。(2001.9.23 初出『土星の環』)

 (2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

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    平成17年に自主製作した僕のエッセイ集です。
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    地域づくりコーディネーターとして働いています。市民活動団体、NPO等で地域活動にもかかわっています。
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    読書や、観劇、コンサート等の感想や、日々触れるさまざまな事柄について考えたこと、感じたことなど。

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