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2010年6月 1日 (火)

狡さの感覚 『東京物語』評


 物語は、広島市尾道に住む老夫婦周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)が、成人した子供たちを訪ねて上京するところから始まる。
 長男(山村聰)は町医者となり、長女(杉村春子)は美容院の経営に忙しい。次男は既に8年前に戦死しているが、未亡人となった紀子(原節子)は未だ再婚もしていない。
 長男の家にたどり着いた老夫婦は歓待され嬉しい。しかし、東京見物に出かけようにも、急患が入って予定は流れてしまうし、長女は生活に追われ両親の相手をするつもりがない。長女の夫も気をもむものの実際には暇を作れない。気がつくと老夫婦は一日二階の部屋でどこへも出かけず仕舞いだった。
 長女は、紀子に東京見物に老夫婦を連れだしてくれるように頼む。職場を休み、観光バスに乗って東京を案内する紀子。狭い紀子のアパートで、温かい紀子のもてなしに感謝する夫婦。しかし実の子供たちは、既に両親を持てあまし気味だ。長男と長女は次に、両親を熱海にやることを思いつく。眺めの良い旅館ではあったが、若者向きで、夜遅くまでうるさく眠れない。そろそろ尾道へ帰ろうか、老夫婦はそう言い交わし、一泊で長女の家に戻ってきてしまう。いかにも迷惑げに迎える長女。老夫婦は居たたまれず、とみは紀子のアパートに、周吉は昔の知り合いを訪ねる。したたかに酔った周吉は、子供たちが期待するようには育ってくれないことを諦めつつも語らずにいられない。一方、紀子の家に泊まったとみは、いまも次男のことを思い、子供たち以上に温かく自分たちに接してくれる紀子にすまなさを感じ、遠慮せずに再婚し幸せになってほしいと願うが、紀子は笑顔でこのままでいいと言うのだった。
 周吉ととみは翌日古里に帰るが、周吉の礼状と前後して、東京の子供たちの元に、とみ危篤の電報が届く。

 ラスト近く、葬式後も最後まで尾道に残っていた紀子に、周吉が述べる心からの礼に、紀子は意外な反応を見せるのだった。お母様には言えなかったけれど、私は、お父様の思っているようないい人間ではない、と。
 私はとっても狡いんです。
 いや、あんたはいい人じゃよ、正直で。そう言う周吉に、紀子は、既に次男のことも思い出さない日が多いのだ、時々とっても不安になって、ただじっと何かを待っているのだ、と言って泣き伏すのだった。
 
 ここにある種の逆転が起こっている。おそらくは、この映画が作られた時点で、私たちの中から失われようとしていたある種の心の有りようが、紀子の口をついて出る“狡さ”という言葉によって照らし出されている。一番温かく老夫婦を迎えた紀子。子供たちこそ狡賢く紀子に面倒を押しつけていたのではないか。
 しかし、紀子はそれがごく普通のこと、自分もその例外ではないのだ、ということを知っていた。何故って、私も既に次男を忘れ始めているのだから、と。
 その既に変わってしまった自分が、変わっていないかのように、振る舞っている。その方がよっぽど「狡い」のではないか。
 おそらく、紀子を捉えているのは、そういう狡さへの感度なのだ。
 今の自分(大人になった自分、忙しくなった日本の「社会」、変わってしまった親子関係……)に正直である、というなら、むしろ実の子供たちの姿の方が正直なのだ。
 でも、自分は、例え、否応もなく変わりつつあり、既に変わってしまったとしても、それを認めたくない。変わってなどいないかのように振る舞っている自分がいる。でも、それは本当は、狡いことなのではないか……。
 (変わらなかった次男……は、戦争で死んでいる)
 小津が示したのは、そんな「日本の姿」だったのではなかろうか。   (2003.08.05)

(2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

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    平成17年に自主製作した僕のエッセイ集です。
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