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2010年5月23日 - 2010年5月29日に作成された記事

2010年5月29日 (土)

トニーと『サイコ』の影


 その1

 月並みかも知れないけれど、まずはぼくの『サイコ』体験から話を始めよう。
 それがいつのことだったか、正確には覚えていない。高校の1年か2年の頃だ。たまたま教育テレビでヒッチコックの『サイコ』をノーカットで放送した。名画劇場というような感じだろう。果たして教育上いいのかどうか、今となってみると甚だ疑わしいが、ぼくはひとりでコマーシャルもなしに、予備知識すらまったくなしに(期せずしてヒッチコックが初公開時に採った開映20分を過ぎたら入場を禁ずる、という前代未聞の措置と同じ状態だった)観てしまったことになる。
 アンソニー・パーキンス主演ということは知っていた。まだ未見だったがオードリー・ヘップバーンの熱烈なファンだったぼくは、オードリーが『緑の館』でトニーと競演している、という知識だけはあったのだ。
 ところが、見始めて『サイコ』の強烈なサスペンスに引き込まれていくことになる。そして例のマリオンのシャワーの惨殺シーンでは文字通り信じがたいショックを受けた。しかし、それは主人公(と思いこんでいた女性)が映画の1/4で殺されてしまうという映画構成上の意外さが大きなファクターだった。本当に戦慄したのはやはりあのラストシーンだ。これは実に深い恐怖をぼくに与えた。本当の「キチガイ」を見てしまった、という戦慄。しかも、そのキチガイに十分に感情移入して、女主人公が死んだ後は彼こそが主人公だと思って見ていた、その挙げ句のことだ。つまり、パーキンス演ずるノーマン・ベイツに感情移入して彼のつもりで見ていたぼくは、ラストで実は「あなた」が本当はキチガイだったのです。と明かされたようなものだったのだ。

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栞1

デバ地下−食べ物のワンダーランド

 今日、池袋に行きました。帰り際にちょっと書店に寄ろうと思い、地下街を歩いていると西武百貨店の食品売り場を通り抜けることになり、なんだかめまいがするような気持ちになりました。? 僕は、全くグルメとはほど遠い日常(食)生活を送っているためか、人でいっぱいのその食品売り場を通り抜ける内に目に飛び込んでくる様々な食品たちが、なんだかそれぞれ本当においしそうに見えたのです。そして不景気のためか、価格設定はかなり押さえられている。洋食から中華、日本食、イタリアン……なんでもござれ。? 確かに、日本は豊かなんだ、と妙な納得の仕方が訪れました。だって、食品というきわめて限定的な世界の中でのことだろうけれど、人間が生きていくうちの欠かせないものが、これだけ豊かに、しかも毎日毎日消費されているのだから……。? でも、何か腑に落ちないものが残るのも確かなのです。僕は、書店で河合隼雄の新刊を買い込んだ帰り道、またその食品売り場を通り抜け、ビビンバ丼のお弁当を買って帰りました。ついさっき、レンジで温めて食べたけれど、おいしかった。? 実際、おいしかったなぁ。? まいった。まいった。? ? でも、本当に美味しいものって、他にあるはずなんだよね。
(2003.7.27 初出「関心空間」)

Village Vanguard

 回想から入ろう。? ワタシは、チバ県のとある場所で暮らしている。マイ・カーなどとは縁のないワタシは、少し遠出するときには自転車に乗る。ワタシはエコロジカルな人間なのである(なんてウソはいけませんね)。?もう5年ほど前のことである。その日もワタシはマイ・バイシクルを転がしていた。そこは最寄り駅から何キロも離れた住宅と工場などが点在する何の特徴もない道であった。引っ越して間がなかったワタシは、時折、気まぐれを起こしては、用もないのに自転車で遠乗りと洒落込んだりしていたのであった。? ふと、道路脇を見ると、倉庫としか思えない黒い建物の側面に大きく「本」の文字がある。? なに、本? ……なんのことだ?? ワタシは、少なからず混乱した。繰り返すが、そこは繁華街でも何でもない。人通りすら少ない。ほこりっぽい田舎道でしかなかったのだ。? 半信半疑で、しかし好奇心に負け、自転車を降りたワタシは、入り口らしき扉の前でしばしためらったのち、ドアを開けた。? 驚いた。? 倉庫の中に、所狭しと様々な雑貨・本・CD・衣類……エトセトラが並び、立てかけられ、吊され、ていたのである。? なんだ、これは?? なんで、こんなものが?? ここは、いったいなんだ?? ワタシはしばし疑問の固まりとなりつつ、目はせわしなく辺りを彷徨い、喜びの声を上げつつ、脚はふらふらとよろめくように身体を運んで、棚の前でしばし時間を忘れたのであった。? これが、ワタシとヴィレッジ・ヴァンガードとのファースト・コンタクトであった。?? ヴィレッジ・ヴァンガードは新刊本を扱う本屋ではなく、定番本を扱う本屋(というか、正確には本屋と限定してしまうことはできない。本/雑貨屋)だ。本について言えば、決して豊富な棚とは言えないが、なかなか品揃えが良く、センスが感じられた。そう思うのも道理で、自分の蔵書と似た傾向が感じられたのである。従って、ヴィレッジ・ヴァンガードでは案外本は買わないことが多い、という変な現象にも結びつくのだが。? この店は、その出会いから1年も経たない内に、唐突に移転のお知らせが張り出され、沿線のとある駅前のビルに収納されることで終わりを見た。その移転先の店も100Yen shopに取って変わられてしまった。?? 今考えてみても、何故あんな場所に? と不思議な気がする。あの倉庫を思い出すと、アレがヴィレッジ・ヴァンガードの本来の姿であったのでは? などという夢想すら浮かぶ。? 結構好きだったんだ、あの店、と今思う。? ヴィレッジ・ヴァンガードが、実は全国展開しているということは、割に最近知った。? そして、最近発見した。お茶の水にもあったのだ。ワタシはなんとなく、ウレシイのだった。(2003.6.5 初出「関心空間」)

(2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

歳をとるということ


 2001年10月15日(月)、S&Gのアート・ガーファンクルを聴きに、オーチャード・ホールへ行って来た。と言っても、S&Gと言われてピンと来る人はどのくらいいるのだろう。

 ポール・サイモンの名は知っているだろうか。その昔、サイモンとガーファンクルは、世界で最も有名なデュオだった。その「解散」は大きなニュースだった。でも、グループの解散と違って、元々二人っきりのデュオの解散は、二人が一人ずつになる、というわけで、何だか余計に淋しい気がする。……などというのも、ずいぶんと昔の話で(ざっと30年前!)、すっかりおじさん、というより初老となったガーファンクルが、ステージに立っていた(半分くらいは椅子に腰掛けていた)。
 ニューヨークの心、などの新しい(くもないか)歌はもちろん、S&G時代の、ミセス・ロビンソン、スカボロー・フェア、明日に架ける橋、サウンド・オブ・サイレンス……。実は(もちろん)S&Gを生で聴いたことがあるわけではないから、この歴史的名曲を(1/2とは言え)オリジナルで、生で聴くのは初めてである。
 一緒に行った友人はともかく、ぼくは洋楽をリアルタイムで聴いていたのは70年代の終わりまでである。邦楽こそ聴き続けたものの、ほんの一部のプログレ系を除いては、洋楽は懐かしのメロディー、ということになってしまった。
 で、時々、その懐かしのオリジナル・アーティストが日本にやってきたりすると、誘いに乗ってホイホイと聴きに行ってしまい、いろいろ感じて様々な感慨に耽ることになったりする。
 昨年のギルバート・オサリバンの時には感激してニュー・アルバムを買ってしまった。ママス・アンド・パパスの時には、オリジナル・メンバーが一人もいないことに愕然とした。

 アート・ガーファンクルは、とても気持ちよく歌っていた。ステージには才能豊かなミュージシャンと共に、若くて美人の奥さんと、子供まで登場して、日本における幸福なコンサートの一夜をもり立てていた。
 そこには、幸福感があって、若きS&Gが、歌にも詩にも表現していた「疎外感」などというものは、どこにも見あたらなかった。
 それは、当然のこと、なのかもしれない。
 歳をとるということ。
 誰だって歳をとり、変わっていく。
 でも、ギルパートは、アローン・アゲインを歌いながら、今でも歌の最後には、危うく涙を流しそうになったんだけれどな。
      (2001.10.17 初出『review japan』泥鰌の話)

(2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

ぼくは、ここにいるよ。  岡村孝子コンサート


 コンサートのオープニングで演奏されたのは『未知標』だったでしょうか。このオープニングで岡村さんが、ある種原点に戻ることを意識されているのではないか、と感じました。
 さらに、初めに2曲くらい歌った後の第一声で、「いろいろとお騒がせした」と今回の辛い出来事(離婚)に触れた後の曲が「秋の日の夕暮れ」だったので、内心、うわっ、と思ったりした。
 この、うわっ、は一言では言えません。とても好きな曲なので、久しぶりに聴ける、という喜びも当然ありましたが、「いろいろと……」発言の後だったので、大丈夫かな、と心配になったからです。
 昔、岡村さんの『電車』『秋の日の夕暮れ』『心の草原』について書いた文章「“自由と永遠”にとどく日に」で、ぼくは『秋の日の夕暮れ』について、こう書きました。

 『この曲も「電車」と同じくアルバム『liberte』からのものだけれど、「失われた」 あなた、がそのままテーマとして現れている。曲調も沈んだものだが、そこに夕暮れ時の胸が締め付けられるような美しさもまた、刻みつけられていると感じられる。
 詩の中では、「いつか夢がさめても」「心配せずに去ってネ」と歌われ、“あなた”は これから失われるかのようだが、曲全体のトーンは明らかにすでに失われた恋人を思う歌になっている。例えば、口先の言い訳をからだ全体の身振りが裏切ってしまう、というような経験はないだろうか。あるいは、どうしても認め難いことを何とか認めようとする葛藤が、全体のトーンを支えきれず、“切ない嘘”として顔をのぞかせる、とでも言うしかない心の揺れ。それが詩になっていると感じられる。
 人が人を愛する時、また、その愛が壊れていく時、人は自分を守ろうとして嘘をつく。 また、相手を守ろうとして嘘をつく。嘘が自分を傷つけ、相手をも傷つけると分かっていても止めることは出来ない。そのとき、失われずにすむものはほとんどない。
 「あなたと出会って(愛して) 本当に良かった」
 この歌で、すべてが失われてしまったとしても、なんとかして信じていたいひとこととして、この一行が歌われている、と感じられる。たとえ、いつか夢がさめようが(続こうが、変わらずに)、真実であるもの。ここで願われているのはこの一点であるように思われる。』

 えー、我ながらエラソーですが、言っていることは間違っておりません! と思います。この曲はきっと、敢えて歌ったんだろうな。……
 コンサートも佳境に入り、初挑戦のアコースティックコーナー。なかなか良かったです。特に、アフリカの打楽器を交えての『はぐれそうな天使』は意外性もあって、とても良かった。拍手でリズムを取りたいようなアレンジで、本当に手拍子を入れたかったけれど、会場が静かで、ちょっとためらわれた。でも、中程、曲が間奏に入った時に、短い拍手をしたら、それに続いてくれる人々がいて、拍手の波になった。
 ちょっと嬉しかった。

 コンサートも終盤に近づくにつれて、岡村孝子は観客の一人ひとりに目を合わせて、視線で捕まえようと懸命に(まるですべての聴衆の視線を捉え返そうとするみたいに)微笑みかけ、手を振った。こういうことに、こんなに一生懸命な歌手って、やっぱりあまりいない。
 ぼくの席のすぐ後ろにも「だがごさーん!!」と野太い声で絶唱する方がいて、耳元ですごい拍手もするし、正直勘弁してほしい、と思わないでもなかったけれど、やっぱり思いは同じなんだよな、と途中で気がつきました。懸命に手を振る孝子さんを見ていると、知らせたくなるんですよね、ぼくはここにいるよ、と。
(2003.12.02 初出『review japan』泥鰌の話)

(2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

“自由と永遠”を追いかけて    岡村孝子を聴く


 1988年以来だから、岡村孝子という一人の表現者を知ってかなり経つ。
 正確には、“あみん”のころの彼女のことも知ってはいたけれど、注目してはいなかった。ソロになって再デビュー後、そのころ葛西に住んでいたぼくは、西口のしょぼいレンタルショップで彼女のCDを何枚か見つけることになる。少し迷って借りたのが『After Tone』か、『liberte』だったか。
 いずれにしても聴いて、ショックを受けた。
 何にショックを受けたのだろう? よくわからない。
 とにかく、彼女はよかった。懸命に「何か」を訴えていた。健気だったのだ。
 彼女は、ある種の理想を求めているように見えた。それは、いかに幼いものであったとしても、笑うべきものではなかったのだ。
 それを、僕はここで、“自由と永遠”と呼んでみたい。
 確かに、それは予め不可能を定められた理想であったかもしれない。
 また彼女も、結婚と離婚等の経験を通して変わらなかったはずはない。母親として、今は娘さんの成長を感じながら自身の活動も再開している(よかったね)。40代の始めに、岡村孝子はまた、音楽シーンに戻ってきた。
 第二章、といっていいのなら、既に始まっている。
 そして実は、“自由と永遠”のテーマは、幾度もアレンジを変え、歌い込むだけの魅力と深みを持っているのだ。きっと彼女は、今後も求めることを止めはしないに違いない。

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栞2

愛・地球博

 7月上旬に愛知で行われている地球博を観てきました。
 こういうイベントは好きで、なんと言っても見逃せません。名古屋にホテルを取って2泊して2日間行ってきましたよ。
 人気パビリオンについては、インターネットでの事前予約は既に一杯でできずに、当日予約をなんとか、と言う程度でしたが、2日間朝から晩まで万博会場に浸っている感じは、悪くありませんでした。
 本当を言うと、とても疲れたけれど、大好きです、あの雰囲気。

 その雰囲気の醸成に一役買っていたのは、グローバル・ループと名付けられた長いながい渡り廊下(?)ではないかと思います。幅が21メートルほど、一周2.3キロメートルの空中回廊です。その上を人も歩けば、グローバル・トラム、自転車タクシーという乗り物や、車いすの方なども移動します。熱い日中は、定期的に霧が吹き出る柱があるのはアイディアでしたね。あの上をのんびりと歩いて会場を見渡すのはいい気分でした。

 そのグローバル・ループから企業パビリオンゾーン、グローバル・コモンと呼ばれる各国のパビリオンゾーン、森林ゾーン、遊びと参加ゾーンすべてにアクセスできるようになっている、というのはなかなか優れた着想じゃないかと思う。そのループの内側がセンターゾーンで、そこに日本ゾーンも含まれています。
 この構造そのものが、日本社会のある種の成熟を現している、といったら褒め過ぎかなぁ。とてもバランス感覚を感じさせる優れた設計だと思ったけれどな。

 人気パビリオンは、たくさんは観られなかったけれど、その代わり各国のパビリオンはできるだけ見て回ったし、それこそが万博なんだし、それで充分、大満足だった(もちろん、お土産売らんかなが前面に出ているような国もあったけれど、それも含めて)。
 森林ゾーンは訪れる人も少なくて、のんびりできたし、そこのスタッフと話すのも面白かった。カブトムシがいた、と言って通る人をみな呼び止めて見せていた若いスタッフとかね。
 遊びと参加ゾーンでは、NPOの人と話し、カンボジア等で地雷の撤去に努力している現状を聞いて心打たれた。地球市民村の中にあるアースドリーミングシアターというのは、寝っころがって、天井に映る環境ビデオみたいなのを観ているだけなんだけれど、本当に鼾をかいて寝ているひとがいたよね。それを許容すべく設計されていることが明らかであったのが、断然良かった。拍手!
ゴミ箱の分類を指導している(たぶんボランティアのおじいちゃん)スタッフなどにも好感がもてましたよ。

 何だかんだ言っても、バリアフリーにもそれなりに配慮されていて、少しずつは世界から学んでいるんだよ、日本だって。
と言う気がした。
 個人だって同じですよね。遅くても、なかなか結果が出なくても、その気持があれば、人は少しずつでも学ぶことができるんだ。
 そう思う。

 ところで、誰かも言っていたけれど、ぼくが観た中では、長久手日本間の360度球形スクリーンで観た地球の姿に、一等賞をあげたいなぁ。いや、あれは見物だった。
 ぞくぞくしちゃうよ。
 二回も観たもんな、ぼくなんか。
 夕方からがお薦めですよ。多少は空いている。
 というわけで、だからといってあまり期待過剰にならずに行けば、お薦めですよ、万博。(2005.7.17 初出「関心空間」)

スコーン

 10年ほど前、初めて英国に行ったとき、スコーンというお菓子があることを知った。英国人は主に、アフタヌーン・ティーと一緒に食すもののようだ。
 訳も分からず、午後の紅茶をホテルのティーラウンジで、と洒落込んでみたとき、三段重ねのお皿ツリーのような(どんなもんだ?)ものにサンドウィッチなどと併せてスコーンが乗せられて運ばれてきたような気がする。
 スコーンとは何か? 大ざっぱに言えば、クッキーとパンの中間的な食物である(?)。どちらかというと、7:3でクッキーに近い。大振りで厚みがあり、柔らかな食感のクッキーといった所である。
 これにホイップした生クリームやジャム(確かマーマレード)を付けてミルクティーと交互に食す。
 しばらくの間、日本に帰ってからも喫茶店に行くとスコーンがないか、気になって、あれば食べてみて、これはスコーンじゃない! とかエラソーに言っていた記憶がある。やれやれ。(2003.6.20 初出「関心空間」)

(2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

イノセンスへの信憑 


 村上春樹訳による『ライ麦畑でつかまえて』である。ご多分に漏れず僕も十代の終わり頃古本で買って野崎訳を読んだクチだ。それ以来通しで読むのは初めてだろう。エピソードの多くは忘れており、初めて読むような感じで読むことができた。へぇ、ライ麦ってこんな話だったっけ、という具合に。
 そして、途中から僕は感心しはじめた。いや、すごいじゃないか、まいったな、と。実は、初読の印象は文体的なものが一番で、後はフィービーが出てくるラストシーンの印象くらいしかない。取り留めもない話だし、主人公のホールデンにしてからが変に社会に対して反抗的なポーズをしているのがむしろ鼻につく、といった感じであったのだ。ただ、確かにあの文体は魅力的だった。実際麻薬的なところがあったな。ついつい真似しちゃいそうなくらいだった。

 ところで、今回読み直してみて、僕は実際に青春時代であった初読のときよりホールデンに感情移入できたように思えたわけだけれど、何故なんだろう。
 しかし、このホールデンのヨタヨタぶりはただ者じゃないって感じだ。こんなに情けない主人公はなかなか出てこない気がする。ただ情けないというんじゃないんだな。ホールデンは自分の情けなさにとことん付き合っているんだ。まさに地面にずぶずぶと沈み込むようにそれでも前進しようとする。方向も判らないのにさ。やることなすことすべてうまくいかないくせにだよ。何故かっていうと、何はなくともホールデンには、自分の中に埋まっているイノセンスに対する信憑だけはあるんだな。まさにその信憑こそがホールデンの躓きの石ではあるんだが(彼は本当に良くこの話の中で躓いてばかりいるんだ)。

 その信憑に照らす限りにおいて、ホールデンには見るもの皆うんざりするものばかりになってしまう。実際彼自身そんな自分を持て余しているに違いない。全てにうんざりすれば、つかまる支えすらなくして沈んで行くしかない。ホールデンにとっては兄のDB、死んでしまった弟のアリー、そして妹のフィービーくらいしか本当に心許せる人間はいない。問題なのは、家族以外で一番ホールデンが好意を持っていたと思われるジェーン・ギャラガーとは、物語のリアルタイムの時間には結局会えないし(会うチャンスがあってもホールデン自身がそう言う気分じゃないと言い訳して会わない)、電話で話すことも結局できないままだ。好意を持つことができる大人としてはわずかにシスターとアントリーニ先生くらいか登場しないが、そのシスターには最後に煙草の煙を吹きかけてしまうし、アントリーニ先生のところからは、ゲイ的なことを仕掛けられたと感じると真偽のほども確かめずに逃げ出してまう。

 イノセンスに対する信憑を持ち続けることが、おそらくは(戦火をくぐり抜けた)サリンジャーのほとんど唯一の拠り所だったのだ。その同じ拠り所がまさしくサリンジャー自身を他のすべてから分け隔てずぶずぶと沈ませかねないものでもあったのではないかと思う。今、サリンジャーと書いたけれど、これはホールデンと書いても同じことなんだよね。その後のサリンジャーをみると、この背反性は結局のところうまく解消されなかった、と言うべきなんだろうけれど、ここでのサリンジャーは、自分の見えない将来に向かってホールデンとともに懸命に手探りしている。物語の最後になっても、単に一時期の休みをサナトリウムのようなところで得ているだけで、何の結論もない。9月からは学校に戻る、つまり振り出しに戻っただけなんだが、その切羽詰まった気持ちだけはしっかりと手渡されるわけだよね、「君」にも。

(2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

夏の小説−−おじ酸化/還元・序説

前略 久しぶりに手紙など書こうとしている自分が不思議だな。たぶん、書き終えることが出来たら投函もすると思う。で、君はいま読んでいる、というわけです。よね?
 さて、先日大森西図書館で北村薫という作家の「夜の蝉」というミステリを借りました。僕は普段ミステリなどとんと読まぬ 人間です。(最近やたら多い様子の)人殺しが主題で、迷探偵の迷推理の結果、この犯罪にはどんなに汚い動機があるかが分かった、なんて話をわざわざどうして読まなきゃいかんのだ(答え:むろん読まなくていい)、と言うのが一番簡単に思い浮かぶ理由です。それに加えて、僕は元々SFで育った人間で、「スター・ウォーズ」以前の、つまりSFが一般 に市民権を得る以前の、SFなんか子供だましだ、それどころか、SFなんぞ読んで喜んでいられるのは、空想癖のある少しおめでたい連中だろうという類の露骨な軽蔑の眼差しを、幸か不幸かよく知って(覚えて)いるので、ある時期SFの擁護とその理論化を我が使命と決め込んだことがあったのです。その結果 、近接領域とも見なされていた推理小説に対して、連帯感を伴う親近感と共に、それ故の差別 化の意志を伴う偏見をも育ててしまった可能性がある。つまり、一方にある種の権威が有り、共にその権威体系から差別 される関係にある者同士の差別化が、悲しいことに一番激烈になる、といった一般 に良くある要素もなくはなかった、と思うわけだね。しかも、推理小説や探偵小説(が違うものかどうかもよく知らないが)がそのパズル性からか知的と見なされうるのに対し、奇想天外なことばかりが書かれているSFはアホ扱いだった(まぁ、相当にちょっとひがみすぎかも知れないけれど、それは当時の、つまりいまからざっと20年前の(!)SFファンにある程度共通 する心理だったのではあるまいか、と今でも思っている)。
 もっとも、その後幸か不幸か我々にとって小憎らしい権威だったいわゆる純文学は、権威でもなんでもなくなってしまい、80年代は純文学からのSFへの接近と筒井を筆頭とするSFから純文学への殴り込み(?)がクロスオーバーするといった事態も生まれる。その結果 かどうかはわからないけれど、ジャンルとしての日本SFは80年代初頭から徐々に総体としては失速し始める。
 ちょうど反抗する相手としての大人を見失って手なづけられてしまった若者のように。
 それはいわば大ざっぱに言うならば、SFが精神であることをやめて、手段化・方法化される道を辿ったことを意味する。それはSFにとって明らかな危機であり、その状況はいまだ続いている。
 ところで、そんなSFの盛衰を横目にいわゆるミステリがいまやブームであるらしい。
 むろん、権威という共通の敵(?)を失った今は、強い連帯感もないかも知れないが、反発もない。強いて言えば、独立の遅れた第3世界の若い国家が曲がりなりにも国家としての体裁を整え、国際社会でも相応の地位 を確立した、そのかつての盟友への友情は存在する。
 そして、だからこそ、いま、かつて僕が(というより、もちろん当時のSF作家や愛好者が)、SF擁護の立場から、推理小説全般 への差異(別)化を計った理屈が今でも理屈としてちゃんと通用するものかどうかというのは、興味ある問題と言えるかも知れない。
 その一番肝心な論点は、僕の考えでは以下の点にある。
 推理小説が、基本的に作者の設定した謎からスタートしてその解決へ向かい、その解決が小説としての帰結に重なること。つまり、その謎は解決されるものとして設定されており、解決こそが目的化され、ルール化され、しばしば解決の論理的鮮やかさ、その快感、余りのでない自己完結性こそが優れた推理小説の基準となっている点にこそ一番の違いが、そして、はっきり言えば推理小説の限界がある、というとらえ方。
 SFは対照的に、登場する謎はしばしば人知を越えており、解決されないか、あるいは一応の解釈にたどり着いた後も、謎は更に大きく膨らみ我々の前に立ちふさがり、謎を追いかけている内に我々がとんでもない場所に立っていることに気が付いて唖然とする。つまり、論理的に導かれた場合でも解決には至らない。解決がそのまま目的となるとは限らない。いや、むしろ常識的で割り切れたような解決を積極的に裏切ってさらに大きな謎を提出して終わることをよしとする傾向さえある。
 一つ例を上げよう。同じ謎の提出から解決へのプロセスを辿るにしても、推理小説が、密室殺人という可能な限り限定された状況での論理的な完全な解を求めるサブジャンルを作り上げる傾向を持つのに対し、最良のSF作家の一人A.C.クラークの有名な作品「2001年宇宙の旅」では人類には理解不可能な物体(モノリス)の発見に始まり、謎の追求は人類を木星に連れて行き、スターゲイトという超時空の回廊を旅してスターチャイルドというさらに圧倒的な謎との出会いに人間を導いて物語を終えるのである。
 もちろん、例外は幾らでもある。まったく立場を逆にした作品の例を、ミステリとSFから挙げることだって可能だろう。
 ミステリとSFがすべてこのような構造を持っているなどと極論するつもりもない。
 SFの90%はくずである。どんなものでも、その90%はくずなのだ。だから、諸君は10%を見分ける眼力を養うことこそ大切なのだ。といったSF作家に僕も心から同意する。
 どちらを好むかと言うのもまさに個人の好みの問題だ。
 ただ、もうひとつ言っておきたいことがある。それが、今日の論点の(ミステリ作家の)北村薫につながる。そして、今や僕は北村さんが大好きである。

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一九七二年の栄養失調  -ある「魂への気づかい」の記録-


 一

 庄司薫? と聞いてもピンと来ない方も多くなってきた昨今ですが、一九六〇年代末に芥川賞を受賞し、一九七〇年代前半、ベストセラー作家として著名でした。しかし、小説としては一九七七年の『ぼくの大好きな青髭』、エッセイ集としては一九七八年の『ぼくが猫語を話せるわけ』を最後に、時折、自著の再版等に際してあとがきが新たに書き加えられる等の例外を除いて、沈黙してしまいます。
 すでに三十年にわたって沈黙を続けていることを思えば、二度と筆をとられることはないと考えねばならないのかも知れませんが、氏には“前科”もあるのでまったく期待できないか、といえばそうでもありません。
 芥川賞受賞作『赤頭巾ちゃん気をつけて』を発表したときが、三十二歳の時。しかし、遡ること十年。二十一歳で東京大学に在学中に「喪失」で中央公論新人賞を受賞、喪失を含む作品集を一冊残しています。この学生作家氏は、しかし、翌年「封印は花やかに」を残して(正確には翌々年「軽やかに開幕」があるが単行本未収録)沈黙期間に入ります。このときは本名で発表したのでしたが、その十年後、庄司くん(薫)というペンネーム(本名の「福田章二」をもじっている)で現れるやたちまちにして大評判となります。『赤頭巾〜』に続いて『白鳥の歌なんか聞こえない』まで二度にわたって映画化された、といえばその人気もおわかりでしょう。

 氏の小説は、学生時代に書かれ、『喪失』としてまとめられたたものを除くと、『赤頭巾』に始まり、『さよなら快傑黒頭巾』『白鳥の歌〜』『〜青髭』の作者と同名の十八歳の青年、庄司薫くんを主人公とした四部作しかありません。他に三冊のエッセイ集があるだけです。
 そのためか、中には軽い少年小説を書いて一時期人気があった作家、程度の紹介で終わっている場合もあります。
 では、氏は本当にそれだけの作家だったのでしょうか。
 そもそも、福田章二氏はいかにして庄司薫氏になったのか。
 いや、その必要があったのか。

 「一九六九年中にさっさと書き上げたら、また総退却しようと思っていた」という、薫くんもの四部作にしてからが、タイトルに赤・黒・白・青を入れ込み、中国の故事に習って東西南北を表し、これをもって主人公・薫の世界を現そう、というのですから、庄司さんは相当な凝り性、というか、(小説)世界を分節化し、構造化する意志が顕著と言っていいでしょう。
 その主人公・薫の設定にしても、二十世紀後半を考える一つの方法として、一九五〇年生まれの男の子を考えていた、というのですから、ここでも方法への意志は一貫しています。
 『赤頭巾ちゃん気をつけて』は一九六九年の春に執筆され、すぐに中央公論に発表されますが、その主人公・薫が十八歳の東大受験生であった(その年の東大受験は大学紛争の煽りで中止され、受験浪人となっていた)のは、一九五〇年生まれのアイツは今、どうしているだろう、と考えてみたら、こんな状況になっているんじゃないか、ということで書かれているのです。(因みに、今年、五十代半ばとなった薫くん、‥‥薫氏はどうしているでしょう? こればっかりは作者の庄司薫氏にお聞きするしかありません)
 さらに言えば、『赤頭巾〜』のあとがきにちらりと書かれているように、主人公・薫は、ぼくは自分の兄の小説の主人公なんじゃないかと思う、なんて白状もしている。単行本には未収録だけれど、「恐竜をつかまえた」という魅力的な短編があり、実は四部作の主人公・薫が登場します。いや、それだけではなく、その兄が登場する。そして、その兄とは作者・庄司薫氏自身に相当すると考えてもよさそうな書き方なのです。
 庄司薫氏の、というより、福田章二氏の方法は、このように一貫して構造的であり、それはいつの場合も自己言及的に構造的であると言って良いようです。庄司氏自身の言葉で言えば、「客体化」する、という作業を常に行っている。
 以上、簡単に振り返っただけでも、自分を、世界を、客体化する方法のひとつとして、小説を書いた作家、そのことに人一倍意識的であった作家として、彼は極めて特異な存在であったと言って、間違いはないでしょう。

 福田章二氏が庄司薫氏に生まれ変わったのは、後に触れるように、実は、大学紛争に端を発する時代状況を砂かぶりで見守る中で、庄司さんの先輩や友人にあたる人々への「魂への気づかい」として再び小説が書かれることになったことの結果である、と言ってよいのですが、同時に、その状況下での自己の振る舞いを検証するための方法、自己客体化のための方法のひとつでもあったと推測して、そう大きく外れてはいないと思うのです。

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栞3


 快活なウソツキになる方法


 さて、ふと改めて考えてみると、僕が大好きな人たちは、嘘をつくことの大切さ(!)を力説しておられる。例えば、庄司薫さんや河合隼雄さんの場合は、こんな具合だ。

 「いつの頃からか、ぼくは、自分がまじめに『ほんとうのこと』を書こうとしていたりするのに気づくと、そんな自分をおおいに警戒することにしてきた。何故なら、ぼくは嘘をつくのが大好きなのだ。
 しかも、今のところ、そこには悪意といった堂々たる意図があるわけではない。正確に言うなら、まことに残念ながら、悪意という魅力的な意図のための方法として嘘をつく、という境地にもいまだ至らぬまま、このぼくは、ただ要するにあることないこと(そしてもちろん、時にないことないこと)を書くのが好きなのだ。
(中略)ぼくは、大食漢のバクよろしく、大小とりまぜた夢の数々を抱えこんでいるけれど、この悪意に関する夢想はなかでも大きいやつだろう。何故なら、悪意を飼い慣らすことは、おそらくあらゆる『自由』のための必須条件にちがいないのだから。ぼくがこの『鍛錬』に成功した暁には、ぼくはたとえば、『庄司薫氏にだまされてはいけない』といった颯爽たるタイトルの序文をまったく悪意から自由に書き、そしてあることないことはもちろん、自分について『ほんとうのこと』を快活に語ることさえできるようになるかもしれない。」(庄司薫著『狼なんかこわくない』序文より)

 河合さんの場合は『ウソツキクラブ短信』なる、それこそ「あることないこと」「ないことないこと」が満載の著書までお持ちだ。

 そこで、いつ頃からか、ぼくも上手にウソをつけるようになりたいものだ、と考えてきたのだが、取りあえず採用した戦法として、以下の方法をご紹介したい。木吾出洋子と所英明の共同考案による「ウソツキ考学の三原則」である。

第一条、ウソツキは、真摯に、かつ用意周到にウソをつき、ダマしたい相手を完全にダマさなければならない。ただし、ダマした直後にウソであることを必ずバラさなければならない。

第二条、ウソツキは、ダマしたくない相手に相対したときには、初めからどう考えてもウソとしか思えぬような明白なウソをつき、相手をダマすことに完全に失敗しなくてはならない。ただし、あまりに見え透いたウソなので、しまいにホントかと思えてきた、と言われる危険を甘受しなければならない。

第三条、ウソツキは、一条、二条のいずれにも当てはまらぬがダマさざるを得ない相手に相対した場合、相手を完全にダマしつつ可能な限り自らの身を守らねばならない。例えば、タイマー付のウソを仕掛け、一定期間後必ずバレるようにウソを設定後、現場からスタコラ逃げだす等の方法をとること。

         (「ウソツキ考学ハンドブック」 二〇〇五年版八〇〇頁参照)

 つまり、ここではウソは必ずバラす前提でつくことになっているんだなぁ。まぁ、庄司さん言うところの「悪意」にはほど遠いが、この三原則を使いこなせれば、あなたも立派なウソツキですぞ。
 え? 何故せっかくのウソをバラすんだって? それはあなた、バラさなかったら(バレなかったら)、ホントになっちゃうじゃありませんか?!
                 (二〇〇五年十月二四日)

 「大人」としての必要/十分条件

 「大人」になるとは、どういうことか。
 これ、案外難問だと思いませんか? 人間は誰しも、赤ん坊として生まれてきて、初めから大人だった人はいない。これは誰でも知っています。つまり、どんなに「大人」に見える人でも、始めは子どもだった。と、言うことは、ある時に子どもが「大人」になったに違いない。
 しかし、子どもは成長すると自動的に「大人」になるのか。
 うーむ。
 それがどうも、違うらしいんですねぇ。それで話がややこしくなる。
 とりあえず、「大人」にならなかった場合は、どうなるのか。
 先にここを押さえておくと、つまり、体の大きな子ども、になるんじゃないかと思われますね。所謂、「まったく! 体ばっかり大きくなったけれど、○○(ここにはあなたの名前を入れてください)と来たら、頭の中は、からっきしの子どもなんだから!」というやつですね。あなたも昔は、よく言われませんでしたか? え、今でも言われてる?
 ‥‥つまり、なんですね、ははは(と、弱々しく笑う)、「大人」とは、生物学的な定義はいざ知らず、体の成長と成熟に伴い、壮年期に必ずなるもの、とは限らない、ということですね。心の成長が伴わないと、「大人」とは呼ばない。
 ‥‥。
 あ、当たり前か。
 そうですよね。肝心なのは、では、どんな心の成長が伴えば、「大人」になるのか。これです。
 その答えを求めて、わたくしは、古今東西のありとあらゆる文献を調査致しました(ウソウソ)。その結果、ついに分かったのであります。
 しかし、その前にまず、青年期とは何か、から語らねばなりません。つまり‥‥
 べ、別にもったいをつけてる訳じゃありません。‥‥ち、違うってば!
 ‥‥。
 じゃ、じゃ、いいですよ。大幅に端折ってしまいますけれど、つまり、「大人」とは、その人が暮らしている「社会」との相関で定義されるんですね。簡単に言うと、その人が暮らす「社会」が要請する規範を内面化した人が「大人」、未だしていない人は「子ども」です。これを、もう少し分かりやすく言い直してみます。

 「大人」とは、必要とされる(公的な)目標のために、自分が必要と認める“不快”に耐えて、その(公的な)目標を達成すべく努める人のことである。

 ここで、カッコ書きの「公的な」という言葉は、入れなくても良いかもしれません。ただ、飽くまでその人が所属する「社会」との相関で決まる、と言う点から、程度の差はあれ、「公的な」というニュアンスは入ってきます。全く「私的な」目標を生きる基準にするような人の場合は、「大人」と直接関係がない。
 また、子どもとは、ここに言う「目標のために、自分が必要と認める“不快”に耐え」られない人のことだったんですね。
 だから、もっとシンプルにこう言い切ってしまってもいいのかもしれません。

 「大人」とは、自分が必要と認めた“不快”に耐えることができる人のことである。

 ここには、逆に自分が必要と認めない不快には敢えて耐えることをしない、ということをも含意しているのでもあります。

 僕はこの定義に一応満足しました。ですがそのうちに、少しずつ、物足りない気がしてきた。何かが足りない。ぶっちゃけて言うと、耐えてるだけじゃ、しようがないんじゃないか。「大人」とは何か、と言うときの、ミニマムな必要最低条件にはなっているかもしれないけれど、それだけなんじゃないか、と言う感じ。
 マクシマム、というか、「大人」としての必要十分な条件って、何だろう? そう思ったのです。それを見つけてやるぞ!

 さあて、それから幾星霜。
 どうなったと思います?
 実は、僕は、その答えをまだ見つけていないのです。(二〇〇五年十月二四日)

 2010年5月一部改定

(2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

2010年5月28日 (金)

書くことの根拠


 ぼくは、この一年間に、『新現実』誌上に、四つの小説と一つのエッセイを載せた。ぼくとしては、なかなかがんばったものだ、と素直に自分に感心してしまう。中には、馬鹿なことを、と怒る人もいるかもしれない。そのくらいで、何を大袈裟な、と。
 でも、仕事を持っている平均的なサラリーマン(ぼくもその一人だけれど)は、年に一つの小説を書くこともないのが普通だろう。小説を書くということは、依然としてやや特殊な営みだ。ずいぶん時間もかかるし、同人誌を維持していくのはお金だってかかる。
 すると、ぼくは何故、小説を書くのだろう?
 昔から、ぼくは小説を読むことも、書くことも、共に好きだった。小学校の高学年から活字に親しみを覚え始め、それとほぼ並行して書くことをも始めたと言ってもいいと思う。多分、探せば中学校のころに書いたフレドリック・ブラウンもどきのショート・ショートが見つかるはずだ。思い出したけれど、小学校卒業の記念に学年全体でつくったソノシートの中で、一言ずつ将来何になりたいかを言わせられたのだが、そこでぼくは、ひとり前の男の子に続いて同じことを、つまり、小説家になりたい、と喋っていた。率直に言って、ぼくが小説家、と言った理由の一番は、他になりたいものを何も思いつけなかったからだと思う。でも、積極的な理由もあったはずだ。
 たぶん、当時のぼくが知っている職業の中で、「ぼく」という人間が活かされる仕事として、直観的に、取り敢えず「小説家」はあったのだ。
 その直観は、「ぼくは小説家になりうる」という形のものであっただろうか。それとも「(もしぼくが、小説家になりうるのであれば)きっと楽しいだろう」という直観であった、というべきだろうか。何ものかになりうるという直観と、その何ものかこそがぼくの「生」を生きいきとさせ豊かにし充足させるという直観は、必ずしも同一ではないだろう。あまり具体性のない例で恐縮だけれど、有名大学に入ることを目標にずっと苦しい受験勉強を続けてきた受験生が、目標達成と同時にかえって無気力になり、そればかりかうつ状態になるというようなことが起こる。彼の中で、受験勉強をすればするほど、「ぼくは有名大学の学生になりうる」という直観は強められることがあったにせよ、きっと最後まで「(もしぼくが、有名大学に入れたなら)きっと楽しいだろう」という直観は、彼に訪れぬまま入学したのではないか、と想像することも出来る。このケースと逆の場合(有名大学の学生になりうる、という直観は働かないが、もしなりうるならばきっと楽しく生きいきと学生生活を送れるだろうという直観を持つ)と較べて見れば分かり易いだろう。
 しかしぼくたち人間は、しばしば思い違いをする。例えば、この受験生が実際に大学に入る時まで、「ぼくは有名大学の学生になりうる」(だからもちろん学生生活は)「きっと楽しいだろう」と特に根拠もなく思い込むということもあり得る。そして、その受験生がぼくではない、という確たる証拠もまたないのだ。
 それでもぼくはこの一年間、久しぶりに小説を書く日々を持った。一つ書き終えるごとに、ぼくはある種の「癒し」の感覚を得ていたように思う。そのことは、小説を書くという行為が、ぼくにとってやはり「ある特別な行為」であることを告げているように思う。しかし一方で同時に、「小説を書く」という行為をうまく把握しかねる、という感じをもぼくは持ち続けている。小学六年生のぼくが持った直観が、今もなお生き延びていると言えるだろうか。生き延びているならば、それはどのような形をしているのだろう。文章を書く、特に小説を書く、という行為について、また、書くことがぼくの生活の中で持つ意味についても、改めて考えてみたい。
 書くことの根拠についての(おそらくは不十分なものになるであろうが)これはぼく自身のための覚え書きである。

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ブックエンド 雑草は草原に --あとがきに代えて

 昨年、初めて自費で『土星の環』という小説集を造ってから、一年経ったいま、また本を造っています。今度はエッセイ集。雑想ブック、なんて名付けて、雑想は雑草に通ず、なんて自分に言い訳したりしている。
 第一部は、映画に関するエッセイを集めています。同様に第二部が、音楽。第三部は小説。第四部はちょっと変わって、「書くこと」についての随想、というよりやはり「雑想」を置きました。そして、全体を前後から(というか、両側から?)ブックエンドと名付けたまえがきとあとがきで押さえてある。ついでに、本には栞も挟んでおこう、と「栞」と名付けたショートエッセイを各部の間に入れてしまった。
 順番に読む必要はないので、どれからでも読んで下さい。書いた時期はまったくばらばらで、考え方も文体も結構異なっているとは思うけれど、一部を除いて大きな変更はしませんでした。
 第一部の最初のふたつは、原田知世さん主演、大林宣彦監督作品についてのエッセイ。いずれも劇場公開後に間を置かずに書いたもので、我ながら何だか初々しい。
 東京物語から、ノッティングヒルの恋人までの短評は、いずれもウェブ上の書評(映画や音楽等も含みます)の投稿サイト『review japan』に書いたもの。
 「トニーとサイコの影」は、1950年代から60年代に人気があった二枚目スター、アンソニー・パーキンスについての少し長い随想。
 第二部のふたつのコンサート評も同じく初出は『review japan』。続いて、岡村孝子さんの曲の魅力について書いてみようとしたのが「自由と永遠を追いかけて」。自分のウェブサイト『土星の環』に「自由と永遠に届く日に」として載せていたものに今回加筆しました。
 小説についての第三部は、サリンジャーの『キャッチャー』村上春樹訳の感想と、僕の未完のSF論の素描として書いた「夏の小説」(第1部の「時かけ」論は同時にSF論としても読めるように書いてあります)、そして庄司薫さんについての少し長めの文章を収めました。
 ものを「書く」というのは真に不思議な作業で、今回も造るつもりがなかった「本」を再び造ると決めて、昔書いた文章の中から収録する文をセレクトしたり、新しく書くことにした文章の構想を練ったりしているうちに、いろいろあって気持が塞ぎ込みがちだった僕は元気を取り戻せたりもしたものですが、そんな「書くこと」について、舌足らずながら考えてみたのが第四部に収めた文章でした。

 昨年の『土星の環』では、装丁に力を入れて遊ばせてもらったものでしたが、今回はむしろ装丁はシンプルに(でもないか)、雑多な雑想の並べ方(構成)で遊ばせて頂きました。前回につづいて、大変お世話になった協同印刷のみなさんに感謝します。印刷業界も厳しさが増していることが感じられますが、その中で昨年に続き儲かりようもない本にお付き合いさせてしまいました。
 僕にとって、この一年は大きな変化の年でした。
 それに伴う試行錯誤は、今も続いています。
 なんだか、青年期の課題と、壮年期の課題を一緒に抱えこんでしまったみたいで正直しんどいなぁ、と思うときもあります。若い頃に抱えこんでいた夢や希望は、随分すり減って、しぼんでしまったりもしたけれど、今また、自分を試す機会を得たことは素直に喜びたいと思います。間違いも一杯したけれど、その中から、明日に繋げる力を育てていきたい。

 というわけで、僕の「雑想」たちよ。草原に還って、サバイバルしておいで。 

(2005年11月刊dozeu.net『雑想ブック』より)

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  • dozeu.net『雑想ブック』
    平成17年に自主製作した僕のエッセイ集です。
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    地域づくりコーディネーターとして働いています。市民活動団体、NPO等で地域活動にもかかわっています。
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    読書や、観劇、コンサート等の感想や、日々触れるさまざまな事柄について考えたこと、感じたことなど。

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