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2016年8月13日 (土)

読書会.net について

読書会.netというのを立ち上げました。
どうして立ち上げてしまったのかは自分でも良く判りませんが、要は直感的に面白い! と思ったからです。
何故面白いのか、これからどうするのか。
数か月たったので、自分の確認としての意味が大きいのですが、書いてみようと思います。
そもそも、何故思いついたのか。
気がついたら、面白いかも! と考えていた。ということなので、後追いになるわけだが理由を考えると、
・読書から遠ざかりつつあった。ある種の危機感。
・再読したい。読書の楽しみを共有したい。
・主催者の楽しみ。参加者の楽しみ。
を考えていたような気がする。
もともと若いころから読書好きだった。音楽も好き、映画も好きだが、時に音楽や映画に飽きることがあっても、いつも読書はぼくの友だという感覚があった。年齢と共に新しい著者、新しい本との出会いが続き、飽むことがなかった。興味の対象は小説から、心理学、思想、社会学一般に広がって、読む本に事欠かないと思っていた。
いや、そう思っていたのだが、気がつくと、あまり本を読まなくなっていた。何故なのか。集中力がなくなった。新しい本を読む気力が落ちたのか。40代の後半から、父、母、伯父と介護等に追われ、自分の人生ではなくなったような時期が続いていたからだろうか。もう若くはない、という自覚がネガティブに作用したのか。あるいは、単純に老眼が徐々に進み、本を読みにくくなってきたからだろうか。49歳で前職を辞めて、時間が出来たら読めるのか、と漠然と思っていたが、そういうものでもなかった。本を読むことが減って、漠然とした危機感があった。ある種の不全感と言ってもよいのかもしれない。自分が自分でないような感じ。

Photo

新しい本を読む。
しかしそれが必要に迫られて、というパターンが多くなった。ビジネス書など見向きもしなかったぼくが近年はそれらしき本を中心に読んでいる。逆に小説を読むことはめっきりと減った。思想書や人文系の読書も徐々に減っている。その理由はたぶんこうだ。
小説は湯水のように読む、という中で自分の嗅覚で読む。その自分の嗅覚にはそれなりの自信があった。しかし、その自信の前提を成すのはあくまで湯水のように読むということだった(まぁ、本当のところ元々そこまで多読ではないが)。そして湯水のように本を読む、というのはもしかすると、若き日の特権なのかも知れない。時間が無限にある、という根拠のない確信を持っていられる日々のことだ。しかし、その日々が遠くなると、小説を読む、ということの意味付けが変わるのだ。
ビジネス書なら、肝心なところだけを重点的に読んだりもする。読み飛ばしたりもする。ところが、小説はそれが出来ない。何故なら、小説は生きているから、だ。小説は、基本的には読み始めたら読み終えなければならない。生きているからだ。それが、小説を読む、ということだ。読み終えてみなければ、それが良い小説かどうか、自分のための小説かどうか、正確にはわからない。もちろん、有る意味では、つまらない小説は最初の1章くらいでわかる場合はわかる。しかしそれでも一応は読み終えようと努力してしまいがちになるのはどうしてだろうか。
説明が長くなったが、だからきっと、新たな未知の著者の小説に手が出ることが減ったのだ。
その一方で、記憶にある素晴らしい本の再読への意欲と言うのは残っている。
先ほど勝手に述べたように、本(小説)はある種の疑似的な生命を持っている。
だから読み返すことに意味がある。生き物だから、時間が経つと、顔形も変わっているのだ。もちろん。
だとしたら、若き日々に衝撃を受け、あるいは愛した小説を再読する、ということは積極的な意味がある。本が変わる、というのは、つまり自分が変わっている、ということなのだから。
読書会.netは、そんな危機感や内なる欲求に形を与える方法として、どこからかある日やってきた。
自分が主催するものを含むいくつもの読書会があって、それが一覧でき、自由に参加不参加を決められるような状況をつくれないか。ビジネス書を中心に読む読書会や、小説を読む読書会、それだけではなく、さまざまな形の読書会をネットワークすることができれば、どうなるのだろう。
読書と言う体験を自分のうちにだけ抱え込まずに、さまざまな仕方で共有する可能性が開ける。ひとつの読書会に所属するだけでは得られなかった横断的な読書の自由を手に入れる可能性が生じる。いままで出会えなかった知見に接する可能性が生じる。自分の感想をシェアしたり、意見を戦わせたり、自らの知見を広げたりする可能性が高まるはずだと思う。
そういうネットワークをつくってみたいのだ。
例えば、図のようなイメージはどうだろう。
さまざまな個性を持つ読書会がある。仮に、A読書会からE読書会まであるとしよう。
A読書会は、短篇小説を毎月取り上げて読んでいる。参加者も若い人が多く、平日夜開催。平均一時間で終わり、読書会の後は、飲みに行くパターンも多い。
C読書会は、対照的に長編小説を取り上げる。参加者の平均年齢は高く、年に数回の開催だが、一回あたり4時間を費やし、日曜日午前から午後までランチを挟んでゆったりみっちり充実した読書会を開催する。
一方、B読書会とE読書会はいずれもビジネス系の本を隔月で取り上げて人気を集める。さらに、D読書会は、小説、エッセイ、ビジネス、思想…なんでも取り上げるバラエティ豊かな路線。…
それらのさまざまな読書会の情報が一覧できる状況がある中で、赤星さんや黄丸さんは、今月はこの読書会、来月はあれとこれ、と自由に読書会に参加できる。一方の読書会主催者側も、固定化したメンバーではなく、まさにその本を読もうと考えて参加するメンバーで読書会を運営できる…。
そんな状況をつくれたら、どうだろうか。
ひとまず、直観的に得られた読書会.netのイメージは、以上のようなものなのだが、みなさん、どう思いますか?

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