感想・思索

読書や、観劇、コンサート等の感想や、日々触れるさまざまな事柄について考えたこと、感じたことなど。

2016年8月13日 (土)

沈黙とブランク

庄司薫さんという作家の小説を夢中で読んでいたのは、十代の終わり頃から二十歳代だろうか。

1969年の中央公論に「赤頭巾ちゃん気をつけて」という小説をペンネームで書き(本名は・福田章二)、芥川賞を受賞して一躍時の人になった。小説の主人公の名前も庄司薫で、作者も庄司薫、というわけでこの19歳の主人公が本当に小説を書いたのだろうか? そんなこともささやかれたのだが、不幸なことに(いや、もちろん素晴らしいことだけれど)芥川賞を受賞したために、実はその10年も前に本名で「喪失」という小説を書き、中央公論新人賞を受賞した(当時は二十歳だった)福田章二氏だということがバレてしまう。学生作家の福田章二は本を一冊残して、このときまで沈黙していたのだった。

作家・庄司薫はその後主人公・薫による全四部作を完成させると再び筆を擱く。1970年代末にはほぼ何も書かなくなり、なんと、自作の文庫本化等に後書きを寄せたりする程度で現在まで沈黙を守ってきたのだ。

あれだけ才能のある人がおそらくは数々のオファーがありつつも沈黙を貫いた来た。そこには確固たる意思があったに違いない。

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2011年8月30日 (火)

都内を自転車で走ってみる

思いついて都内でサイクリングしてみた。
と言っても、本格的に自動車で都内までバイクを運んで、走った……みたいな格好のよいものではない。
確かに、ふと気がつくと、都内に限らず、スポーティな格好に身を包んだサイクリストを近年良く眼にする。
しかし、ぼくの場合は違う。レンタサイクルを借りて、走ったのである。

実は、都内(というより、関東近県)でも徐々にレンタサイクルが普及してきているらしい、という情報をつかんでいた。区や市などの行政が、ある種の施策として実施するケースや(多くは、安価で、身分証明書ひとつで気軽に使える)、自転車屋さんのレンタサイクルなどもある。行政としては車の交通量を減らす、という意味合いもありそうだし、観光の意味合いもあるのだろう。
そして、ウェブ上でも探したらこんなサイトも出てきた。
http://www.greenpedal.jp/map
自転車は確かに、クリーンな乗り物ではある。空気をよごさない。都会を自転車で走る、というのはどんなものだろう。ぼくは普段車に乗らないし、都心に出たら基本は駅から目的の場所へは歩く。時には目的もなく駅から駅へ、歩く。いずれ駅が起点となるわけだが、移動出来る距離も、時間も、自ずと限られてくる。ところが、自転車なら車より身軽に、徒歩よりずっと大きな距離を短い時間で移動出来る。ふとした好奇心で道端に自転車を止めて立ち寄りも簡単だ。都会の光景が違って見える(かもしれない)。

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2011年4月 9日 (土)

「さよならをもう一度」ニュープリントで上映(午前十時の映画祭)

うかつでした。「午前十時の映画祭」という試みが全国で行なわれていたんですね。昨年から。
2年目の今年も第2回として開催されています。
この映画祭は、「全国の映画ファンのの投票をもとに、1950年〜70年を中心とする映画の黄金時代に生まれた数々の外国作品の中から、傑作娯楽映画をセレクトし、毎朝十時から一年間にわたり上映する特別企画です。いまもなお色あせない感動を、この機会に是非スクリーンで、美しいオリジナルニュープリントのフィルムでお愉しみください。」ということで、1年目からの25劇場と、2年目からの25劇場、併せて50の劇場で実施されているということです。

 新たに加わった25の劇場では昨年好評だった50本を、昨年から引き続き上映の25の劇場では新たに50本を上映するそうなのですが、注目なのはその新たにセレクトされた50本の中に、「さよならをもう一度」(アンソニー・パーキンス、イングリット・バーグマン、イヴ・モンタン共演)が選ばれていることです! トニーの名演(カンヌ映画祭主演男優賞受賞)をニュープリントでスクーンの大画面で鑑賞出来る機会です!

 ただし、震災の影響で上映中止になっているケースも多い様子なのが残念。詳しくは、ホームページをご覧下さい。

http://asa10.eiga.com/2011/

2011年2月17日 (木)

iPhoneが還ってきた話。

一昨日のことです。母の毎月の施設利用料金を振り込もうと訪れた銀行で、iPhoneを置き忘れてしまいました。請求書を撮影しておき、その金額を参照しつつ入金したのですが、ATMに置き忘れたのです。
気がついたのは、その後に寄った書店から帰ろうとしたとき。既に小一時間経っていました。すぐに銀行に戻りましたが午後6時過ぎのATMのどこにもiPhoneの姿を認めることは出来ませんでした。
ああ。
こりゃ、だめかもな。
いくつかの可能性が頭をよぎりました。
自分のiPhoneにコンビニ前の電話ボックスから電話してみましたが、誰も出ず。留守電にメッセージを残しました。段々悪い予想が頭を占領し始めました。
自宅に急いで戻り、マックから「iPhoneを見つける」機能で探すと、我がiPhoneは駅近くにいる(というのか、あるというのか)らしいことがマッピングされました。メッセージを送りました。すると、一分もしない内に自宅の電話がなり、ビックカメラの担当者の方が、我がiPhoneを拾った男の人がiPhone売り場に届けてくれてくれた、と教えてくれました。名前も言わずそのまま去ってしまったそうです。

実は、置き忘れに気がついた時にまず思ったのは、中のデータが悪用されないか、とか、駅前のビックカメラと同じフロアにあるソフマップ(中古を扱っています)に売られてしまうのではないか、とか、そんなロクでもない想像ばかりでした。

でも、事実は全く違いました。
ただ、運が良かった、ということかもしれません。
もっとマズイことになっていたかもしれません。
でも、ぼくは、恥ずかしくなりました。
その方に、心より感謝したいと思います。

2011年1月18日 (火)

大林宣彦監督の新作!『「この空の花」 -長岡花火物語-(仮題)』

 大林監督によれば、「8月1日の『長岡追悼花火』をプロローグにして、『真珠湾の追悼花火』をエピローグに、そして『この空』に咲く『花』の祈りの物語を主題に、この映画は『長岡古里映画』、一本の願いのファンタジー、健気な『夢』として完成されるべきでしょう」という、待望の新作。
 これまで故郷だけでなく、北海道の小樽や四国の香川県観音寺市など日本の古里を巡り、「古里映画」をつくり続けてきた大林監督。本作のキャストは未定だが、4月には撮影準備に入り、年内にクランクアップを迎える予定だという。

映画『「この空の花」 -長岡花火物語-(仮題)』は2012年春公開予定

2010年5月17日 (月)

井上ひさしさん逝く

難しいことをやさしく/やさしいことを深く/深いことを面白く(井上ひさし)

ぼくは自分のブログに、ずっとこの言葉を掲げて来た。井上ひさし氏が亡くなって、いくつかの番組で、この言葉を取り上げているのを見た。ぼくだけではない。多くの人に届く名言だと思う。

友人に誘われるままに、20代の頃から井上ひさし作の芝居をずいぶんと観て来た。おそらく20本前後くらいは優に観ているのではないか。そして、井上氏の芝居でがっかりして小屋を出て来ることは滅多になかった。
ぼくは芝居に夢中になっていた頃、よく芝居を見ては本気で腹をたてて劇場を出て来たものだ。映画では滅多に本気で腹をたてることはないのだが(単に呆れるだけです)、こと芝居となると猛然と腹がたった。つかこうへい氏の芝居なども二三度そんなことが続き、きっぱり観るのを止めた。
今でも思い出すと腹がたつ。

でも、井上ひさしさんの芝居に限ってはそんなことはない(ひとつだけ例外があったが、あれは演出のせいではないかと疑っている)。観始めるとまず、芝居で描かれる対象(人物であったり事件であったり)に対する井上さんの愛憎の深さがひしひしと伝わって来る。言葉の遊びや奇天烈な物語の展開や主人公の命運に、笑い声を上げ、また悲しみにそっと共感し、やがて、様々な資料を猟歩したあげくに見つけたと思われるその芝居の切り口、取り上げ方にじわじわと感心し始め、エンディングに至ると何事かを教えられ、気づかされて、幕が下りる。

井上さんは、芝居を観ている観客の後ろ姿を、客席の一番後ろからそっと覗くのが好きだった、とどこかで読んだ。その芝居がうまくいったときには、俳優の台詞のひとこと、演技のひとつに、観客席全体がひとりの生き物のように揺れ、波立ち、笑い、さざめく。その一喜一憂する観客の姿をそっと見つめているときほど幸せなことはない。
そう言ったのだそうだ。
実人生ではきっといろいろあっただろうけれど(誰だってそうだ)、芝居の作者としての井上さんは、日本でもっとも幸せな人だったに違いない。

こころよりご冥福をお祈り致します。

2010年1月31日 (日)

D.J.サリンジャー氏、逝去

 サリンジャーが亡くなった、とのこと。享年91歳。老衰。
 こういう報を聞くと、なかなか辛い。先日は日高敏隆さんが亡くなったし、河合隼雄さんも伊丹十三さん既に亡いし、トニー・パーキンスも、ジョン・フィリップスも、ずいぶん前に亡くなってしまった。
 ぼくが青春時代に、何らかの形で、深く影響を受けた人たち。
 それが、ひとりまたひとりと、この世界から退場して行く。
 ぼくは、彼ら(と、そのほか多くの人たち)にある種、恩義を感じている。まぁ、一方的にではあるけれど。
 だから、彼らの冥福を祈らずにいられない。

 サリンジャーについて、ぼくが詳しく紹介する必要はないように思う。村上春樹さんが野崎訳の『ライ麦畑でつかまえて』を、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として訳し直した、その作者がサリンジャーさんですね。ウソみたいな話しだけれど、ライ麦畑や、『ナイン・ストーリーズ』(こちらも柴田元幸さんが訳し直されました)などの作品を書いたあと、作品の発表を止め、半世紀に渡って隠遁生活を送ってそのまま亡くなった。生きているうちから既に伝説の作家だった。

 ぼくは、新潮文庫の野崎孝訳『ナイン・ストーリーズ』で、サリンジャーにイカレたくちです。
 一つ目の短編「バナナ・フィッシュにうってつけの日」の語り口の鮮やかさに、ガツン、とやられ、「コネティカットの〜」のラモーナの描写に負け、「エズメに捧ぐ」の可憐なエズメにまいり、「テディ」には訳がわからず頭をひねった。それから、『フラニーとゾーイー』ほかのグラース家ものの作品等を読んでいき、もちろん『ライ麦畑』も再読した……(実は、ハイティーンの頃に一度読んでピンと来ず、その後も20代で再トライしても読み切れず、村上訳で初めて、そうか、そうだったかのかと感心した……のだ)。

 ぼくの大好きな庄司薫さんとの類似性が話題になったこともあったが、ぼくにとっては、彼らは飽くまで別個の作家だ。確かに、若き日に作品を発表後、長く沈黙していることなど、ある程度の類似性はあるが。よく言われる『ライ麦畑』と『赤頭巾ちゃん』の類似性なども、とても表面的なことで、それを言い立てることにはほとんど意味はないと思っている。何より、作品自体からぼくらに訴えかけてくるものがまったく違うのだから。

 追悼になるかどうか分からないけれど、以前に村上訳「キャッチャー」について書いた文章を、以下に採録して、サリンジャー氏のご冥福を祈りたい。

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  イノセンスへの信憑 
        『キャチャー・イン・ザ・ライ』評  

 村上春樹訳による『ライ麦畑でつかまえて』である。ご多分に漏れず僕も十代の終わり頃古本で買って野崎訳を読んだクチだ。それ以来通しで読むのは初めてだろう。エピソードの多くは忘れており、初めて読むような感じで読むことができた。へぇ、ライ麦ってこんな話だったっけ、という具合に。
 そして、途中から僕は感心しはじめた。いや、すごいじゃないか、まいったな、と。実は、初読の印象は文体的なものが一番で、後はフィービーが出てくるラストシーンの印象くらいしかない。取り留めもない話だし、主人公のホールデンにしてからが変に社会に対して反抗的なポーズをしているのがむしろ鼻につく、といった感じであったのだ。ただ、確かにあの文体は魅力的だった。実際麻薬的なところがあったな。ついつい真似しちゃいそうなくらいだった。
 ところで、今回読み直してみて、僕は実際に青春時代であった初読のときよりホールデンに感情移入できたように思えたわけだけれど、何故なんだろう。
 しかし、このホールデンのヨタヨタぶりはただ者じゃないって感じだ。こんなに情けない主人公はなかなか出てこない気がする。ただ情けないというんじゃないんだな。ホールデンは自分の情けなさにとことん付き合っているんだ。まさに地面にずぶずぶと沈み込むようにそれでも前進しようとする。方向も判らないのにさ。やることなすことすべてうまくいかないくせにだよ。何故かっていうと、何はなくともホールデンには、自分の中に埋まっているイノセンスに対する信憑だけはあるんだな。まさにその信憑こそがホールデンの躓きの石ではあるんだが(彼は本当に良くこの話の中で躓いてばかりいるんだ)。
 その信憑に照らす限りにおいて、ホールデンには見るもの皆うんざりするものばかりになってしまう。実際彼自身そんな自分を持て余しているに違いない。全てにうんざりすれば、つかまる支えすらなくして沈んで行くしかない。ホールデンにとっては兄のDB、死んでしまった弟のアリー、そして妹のフィービーくらいしか本当に心許せる人間はいない。問題なのは、家族以外で一番ホールデンが好意を持っていたと思われるジェーン・ギャラガーとは、物語のリアルタイムの時間には結局会えないし(会うチャンスがあってもホールデン自身がそう言う気分じゃないと言い訳して会わない)、電話で話すことも結局できないままだ。好意を持つことができる大人としてはわずかにシスターとアントリーニ先生くらいか登場しないが、そのシスターには最後に煙草の煙を吹きかけてしまうし、アントリーニ先生のところからは、ゲイ的なことを仕掛けられたと感じると真偽のほども確かめずに逃げ出してしまう。
 イノセンスに対する信憑を持ち続けることが、おそらくは(戦火をくぐり抜けた)サリンジャーのほとんど唯一の拠り所だったのだ。その同じ拠り所がまさしくサリンジャー自身を他のすべてから分け隔てずぶずぶと沈ませかねないものでもあったのではないかと思う。今、サリンジャーと書いたけれど、これはホールデンと書いても同じことなんだよね。その後のサリンジャーをみると、この背反性は結局のところうまく解消されなかった、と言うべきなんだろうけれど、ここでのサリンジャーは、自分の見えない将来に向かってホールデンとともに懸命に手探りしている。物語の最後になっても、単に一時期の休みをサナトリウムのようなところで得ているだけで、何の結論もない。九月からは学校に戻る、つまり振り出しに戻っただけなんだが、その切羽詰まった気持ちだけはしっかりと手渡されるわけだよね、「君」にも。
    (『review japan』二〇〇三年五月三日)

2009年12月27日 (日)

小田和正とクリスマスの約束2009 —あの感動はどこから来たのか—  

 「クリスマスの約束」という番組がある。2001年から毎年12月25日(多少のずれは年によりある)の深夜にTBSで放映されている小田和正をホストとした番組である。
 僕は「さよなら」でオフコースがブレイクする少し前からの小田ファンだけれど、うかつなことにこの番組のことに気がついたのはほんの二三年ほど前からに過ぎない。ここ二三回(二三年)この番組を見て、小田さんの「思い」が色濃く投影された番組作りを、大変興味深く思っていた。
 この番組のスタートは、必ずしも順調ではなかったようだ。(概要はこちらを参照のこと。http://ja.wikipedia.org/wiki/クリスマスの約束
 しかし、2009年の今年は、小田和正が「前からずっとやってみたかった企画」として、思い切った企画が実現した。小田さんを始め、今年のゲスト(AI、Aqua Timez、いきものがかり、キマグレン、Crystal Kay、財津和夫、佐藤竹善、清水翔太、JUJU、スキマスイッチ、鈴木雅之、STARDUST REVUE、中村 中、夏川りみ、一青 窈、平原綾香、広瀬香美、藤井フミヤ、松たか子、山本潤子、以上50音順)が全員で、それぞれの代表的なオリジナル曲をワンコーラスずつメドレー形式で歌い継ぐのだという。タイトルはそのままズバリ、《22分50秒》。メドレーの曲の長さがそのままタイトルになっている。全体のアレンジは小田が行っている。
 番組は、その小田の企画の立ち上げから、参加ゲストたちとの話し合い、テレビ局スタッフとの話しあい、リハーサルの模様等をドキュメントで追っていく。そして、本番を迎える。

 誰もが、始めは懐疑的だった。まず番組スタッフが、不安をあらわにしていた。
 様々な個性を持つアーティストたち。小田は彼らに手紙を書いて、オファーしたと言う(註1)。
 しかし、彼らは歌い方が違い、フィーリングが違う。年齢も違い、音楽への取り組み方も違うだろう。同じく舞台に立つとは言え、監督がいて、脚本があり、共演者とのアンサンブルでドラマという芸術形態を作り上げていく役者とは違い、自分たちの言葉・音楽とパフォーマンスで、自ら独自の世界をステージ上で築くことに命をかけるシンガーたちは、基本的に常に自分が主役だ。これだけたくさんの同業者たちと「共演」する、自分が脇役になる、というような体験に慣れているわけではない。

 

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2009年11月10日 (火)

富野由悠季と宮崎駿

 今日10日の毎日新聞に、ガンダムの監督、富野さんのインタビュー記事(4回目)が載っていて、タイトルが「宮崎駿監督に近づきたい」となっていた。そのインタビュー記事を紹介したい。
 少し、驚いたから。富野さんが宮崎さんのことをそんな風に思っていたとは。

              ★           ★
 富野さんは、テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(74年)、「母をたずねて三千里」(76年)の絵コンテを担当し、両作品の監督だった高畑勲と、アニメーターだった宮崎駿、の二人に出会った。その仕事ぶりは富野さんに衝撃を与えた、ということだ。

 二人は子ども向けに作品を作る気がさらさらなかった。子ども相手なのに、噛み砕いたセリフが一切ない。セリフの構造が大人の小説と同じだった、という。ハイジの時に、高畑監督に「これじゃ、子どもがつまらないですよ」と直言したが、監督の答えは「いや、つまらなくない」だった。実際、子どもは夢中になってみた。宮崎さんの描く動きにも説得された。いかにもアニメ的なオーバーアクションがなく、自然なのに面白い。「アニメだから」と子どもにこびた表現をすることがむしろタブーだと教えられた、という。
 宮崎駿の初監督作品「未来少年コナン」(78年)でも絵コンテを頼まれたが、全部直された。才能のある人は、絵コンテの部分的な直しはしない。「全直し」なのだという。自分の至らなさに、自分に腹が立った、という。
 ある時期、ある瞬間、二人と一緒に仕事をしたことで、アニメに絶望しないですんだ。「ガンダム」の“基礎学力”としても、その経験は生きている。

 81年に、映画「機動戦士ガンダム」が公開され、ガンダム人気が出た。アニメ雑誌「アニメージュ」が実施した読者の人気投票で、富野さんは演出家部門で三期連続トップに立つ。宮崎監督はその時期、三位から五位だった。しかし、富野は表彰式に出ても針のむしろの心境だったという。「笑われているよね」という気持ちしかなかった、という。(当時、宮崎監督は「カリオストロ」(79年)で映画に進出はしていたが、「ナウシカ」の発表は84年)

 富野は言う。
 ライバルじゃないんです。全面的に認めることのできる才能に接していればせめて近くに行けるようになりたいじゃないですか。そう思い続けないと、僕程度の人間は怠けますから。

 毎日新聞「時代を駆ける」富野由悠季

 

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  • dozeu.net『雑想ブック』
    平成17年に自主製作した僕のエッセイ集です。
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    地域づくりコーディネーターとして働いています。市民活動団体、NPO等で地域活動にもかかわっています。
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    読書や、観劇、コンサート等の感想や、日々触れるさまざまな事柄について考えたこと、感じたことなど。

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